大阪の「教育基本条例案」の撤回を求め、幅広い運動を呼びかけます

By | 2011年12月18日

今日の日本の政治は、大きな役割を果たすことが期待されるにもかかわらず混迷を深めてい ます。背景には、原発に象徴されるエネルギーの問題、経済のあり方など、世界も日本もひと つの大きな転換期を迎えていることがあります。こうした中で、社会のあり方に大きな影響力 を及ぼす教育に政治が口を挟もうとすることがおこりがちです。大阪の「教育基本条例案」は まさにそうしたものです。その前文では、日本では行政と教育の関わりが抑制されすぎている、 選挙の結果として誕生した知事や議会が教育に関わるのは当然で、そうしないと大阪の教育は 世界から取り残されるなどと述べ、条例全体を通して、知事や議会が教育を動かそうとするも のとなっています。

これは、見過ごしてはならないものです。政治と教育の関わりがどうあるかは、文字通り未 来を生きる子どもたちに大きな影響をもたらす問題です。私たちは、将来に禍根を残さないよ うにしなければなりません。

敗戦後の1947 年に制定された教育基本法では、教育への政治の権力的な介入を強く戒め、 教育行政の役割を「諸条件の整備」に限定しました。これは、戦前の日本では政府が教育を統 制し、国の政治に無批判に従う国民が生み出されてきたことを強く反省したからです。戦前の 教育の結果、多くの国民は相手の国の人々のことなどを考える機会もなく「天皇は神様だ」「日 本は正しい戦争をやっている」「負けるはずがない」などと信じこまされて、戦争に無批判に 協力し、国の内外で大きな犠牲を生みました。国策に従順であることが結果として大きな過ち を生み出したことは、今日の原発をめぐる問題でも同様です。「原発は安全」「事故が起こる はずがない」という教育が進められ、異論は排除され、本当に必要な原発に関する教育が行わ れないできました。私たちは、痛恨の念を持って、今回のような事故を起こさないための知恵 を育てる教育の必要性を痛感しています。

政治が教育を動かすとき、必ずといっていいほど、都合の悪いことを規制したり力ずくで排 除したりします。今、あらためてこの戦後日本の教育の出発点の原則を確認する必要がありま す。2006 年に改定された教育基本法でも、「教育は、不当な支配に服することなく」という文 言が残され、政治的な力が教育を動かすことを戒めています。私たちは、日本社会の民主主義 の原理原則の問題として、この条例案は制定されてはならないものと考えます。

また、この条例案では、文字通り力ずくで学校を経営するための手段を定めていることも見 逃せません。知事が決めた目標を受けて教育委員会が指針をつくり、それを校長が具体化して 「幅広い裁量を持って学校運営を行う」としています。教員はその校長の運営に従わなければ ならず、さらに「同一の職務命令に対して三回目の違反」をした教員に対しては「免職」の処 分をするという、校長の方針と合わない教員を力で排除することが記されています。
こうした中で、教員だけでなく子どももまた、まるで「コマ」のように教育の方針によって 自由に動かすことのできる存在とされています。「グローバル社会」への対応を理由に競争を あおり、一人ひとりの子どもの成長を大切にするような発想はみられません。教員を萎縮させ る規則や処分で学校を管理・運営することは、子ども中心の学校づくりが考えられいないこと につながっています。

この条例案は現在の日本社会の政治と教育の関係の基本を覆すもので、運用を監視すればい いという対応で済ませてはなりません。教育基本法のみならずさまざまな法に抵触することが 文科省からも指摘され、大阪市議会に続き堺市議会でも同様の条例案が否決されています。私 たちは、提案者にこの条例案を直ちに撤回することを要求します。そして、すでに起きている この条例案に反対する動きと連帯し、さらに全国で幅広くこの条例案の撤回を求める運動を進 めていくことを呼びかけます。

2011年 12月 18日
一般社団法人歴史教育者協議会理事会/ 常任委員会