今年5月以来、最高裁は、東京・広島・北九州での「日の丸」「君が代」強制に関する9件について相次いで判決を出し、すべてについて教職員の側の上告を棄却しました。これらは、「国歌斉唱時に教職員が国旗に向かって起立し、国歌を斉唱すること」を命じた通達、校長の職務命令などを「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」と規定した憲法第19条に違反しない、と判断したものです。
一連の最高裁判決に共通する論理は、
①「君が代」起立斉唱は一般的、客観的儀礼的所作である。
②職務命令は思想・良心を直ちに否定するものとはいえないが、間接的制約となりうる。
③しかし職務命令には、行事の秩序・公務員の職務などから、必要性・合理性があるので許容される。
というものです。これは、行政に追随して「憲法の番人」という職責を投げ捨てた不当判決といわなければなりません。
少数意見の宮川裁判官は、<憲法は個人の多様な思想及び生き方を尊重し、寛容な開かれた社会であることを理念とし、少数者の思想良心を多数者のそれと等しく尊重し、思想・良心の核心に反する行為を強制することを許容していない。「日の丸」「君が代」を軍国主義・天皇制絶対主義のシンボルとみなし、平和主義・国民主権と相容れないと考えている人もいる。起立斉唱しないのは、人権の尊重・自主的思考の大切さを強調する教育実践を続けてきた教育者としての魂というべき、教育上の信念を否定することになると考えたからだ。職務命令の必要性、合理性を厳格に検討すべきである>(要約)と多数意見に反対しました。異例なことに、多数意見12人中7人が補足意見を述べましたが、その多くが強制は望ましくなく、処分には慎重であるべきという趣旨のものです。ここには最高裁が判決に確信を持てず、行政の暴走を追認することへのためらいが読み取れます。
大阪府では、今年6月に教職員に起立斉唱を義務付ける条例制定が強行されました。「日の丸」「君が代」の強制を梃子に、教職員に対する管理統制、職階制の強化、職員会議の形骸化などを通じて、学校教育を丸ごと支配しようとする動きが強まっています。そのうえ教職員に対する強制にとどまらず、生徒に対する強制も強まっています。多数意見の補足意見にも<肝心なことは、画一化された教育ではなく、熱意と意欲に満ちた教師により、生徒の個性に応じて生き生きとした教育がなされることであろう。本件職務命令のような強制が、教育現場を疑心暗鬼とさせ、無用な混乱を生じさせ、活力をそぎ、萎縮させるというようなことであれば、かえって教育の生命が失われる。>というものがあります。
一連の判決に意を強くして、反動的な行政が強制に拍車をかけてくることが予想されます。 それを跳ね返し、補足意見や反対意見を裁判官の言い訳とさせず、強制の手を抑える武器にしていかなければなりません。そのためには教職員と保護者・市民が一体となって、強制を許さず、教職員と生徒が自由にのびのびと教え、学べる学校をつくる運動を今こそ広げる必要があります。
「日の丸」「君が代」関連の裁判はまだ続々と最高裁にかかっています。中でも一審で「通達と職務命令による強制は憲法違反」の判決が出ている東京の「予防訴訟」と、東京高裁が「不起立行為は、生徒に対し自分の歴史観、世界観に基いて正しい教育を行いたいという真摯な動機によるやむにやまれぬ行動だった」として、裁量権の逸脱・濫用を理由に懲戒処分を取り消した「東京『君が代』裁判一次訴訟」の上告審がこれから始まります。憲法と教育を守る運動と一つのものとして、これらの裁判を仲間の輪を広げながら支えていきましょう。
2011年7月29日
一般社団法人歴史教育者協議会定時社員総会/会員集会