<情報と資料……2001年10月以前の資料>
 
●バーバラ・リー議員の報復戦争反対の議会演説 (英文付き 長文) 2001/10/07
バーバラ・リー議員の報復戦争反対の議会演説 (英文付き 長文)
 9月14日、アメリカ連邦議会はブッシュ大統領に報復戦争の「必要で適切なあら ゆる軍事力」を行使する権限を与える決議を採択しました。上院は全会一致でしたが、下院は420対1でした。唯一の反対票を投じたのがバーバラ・リー議員です。当初は「殺してやる」といった脅迫を受けましたが、カリフォルニアのバークレー、 オ−クランド選出の民主党下院議員であるこの55歳の黒人女性の勇気ある行動は世論の支持を徐々に広げつつあります。
 テロ事件からわずか3日後、情報操作も政治的圧力もおそらく日本では想像もできないくらい厳しいものだったと思いますが、本当に勇気ある行動です。そして、民主主義における「少数意見の尊重」とは手続きを民主的に行うと言うだけではなく、最初は少数意見であっても客観的に正しい側が多数派に転化する可能性を保証する物でなければならない以上、アメリカの、日本の、世界の平和勢力が報復戦争を許さない多数派に転化する闘いを進めていきたいと思います。

 とりあえずバーバラ・リー議員の下院での発言を翻訳しましたが、この格調高い演説をどれだけうまく翻訳できたか自信はありません。あまり意訳しないで直訳調で も、リー議員の意図が伝われば、と思います。転載は大歓迎ですのでどうぞご自由に。(全交事務局スタッフ・森文洋)
………………………………
アメリカ下院議会におけるバーバラ・リー下院議員の発言
2001年9月14日

 議長、私は今日、ニューヨーク、バージニア、ペンシルベニアで殺され傷つけられた家族と愛する人々への悲しみでいっぱいになりながら、耐えがたい気持ちで演説に立っています。
 アメリカ国民と全世界の何百万もの人々をとらえた悲しみを理解しないのは最も愚かな者か最も無神経な者だけでしょう。 アメリカ合衆国に対するこの筆舌に尽くしがたい攻撃のために、私は向かうべき方向を求めて自らの道徳指針と良心 と神に
頼らざるをえませんでした。

 9月11日は世界を変えました。最も深い恐怖が今や私たちの心に付きまとってます。しかしながら、私は軍事行動はアメリカ合衆国に対する国際的なテロリズムのこれ以上の行動を防がないと確信しています。
 私は、大統領はこの決議がなくても戦争を行なうことができることを私たち全員が分かっているにもかかわらずこの武力行使決議が通過するのだということを知っています。
 この[反対]投票がどんなに困難なものであろうとも、私たちの何人かが自制を行使するように説得しければなりません。

 しばらく距離を置いてみて今日の私たちの行動のもつ意味を通して考えよう、その結果をもっと十分に理解しよう、と言う何人かが私たちの中にいなければなりません。
 私たちは従来型の戦争を扱っているのではありません。私たちは従来型のやり方の対応はできないのです。
 私はこの悪循環が制御不能になるのを見たくありません。今回の危機には国家の安全や外交政策や社会安全や情報収集や経済や殺人といった諸 問題が入っているのです。
 私たちの対応はそれと同様に多面的でなければなりませ ん。私たちはあわてて判定を下してはなりません。あまりにも多すぎる罪のない人たちが既に亡くなりました。
 
 アメリカ合衆国は喪に服しています。もしも私たちがあわてて反撃を開始すれば、女性や子どもやその他の非戦闘員が十字砲火を浴びるという大きすぎる危険な目に遭う恐れがあるのです。
 同様に私たちは、残忍な殺人者によるこの狂暴な行為に対する正当な怒りがあるからと、あらゆるアラブ系のアメリカ人やイスラム教徒や東南アジア出身者や他のどの人々に対しても人種や宗教や民族を理由として偏見をあおることはできません。

 最後に、私たちは退場の戦略も焦点を合わせた標的もなしに無制限の戦争を開始しないように注意を払わなければなりません。 私たちは過去の過ちを繰り返すことはできません。
 1964年に連邦議会はリンドン・ジョンソン大統領に攻撃を撃退しさらなる侵略行為を防ぐために「あらゆる必要な手段をとる」権力を与えました。その決定をした時に、本議会は憲法上の責任を放棄し、長年にわたるベトナムでの宣戦布告なき戦争へとアメリカ合衆国を送り出したのです。
 当時、トンキン湾決議にただ二人反対票を投じたうちの一人であるワイン・モース上院議員は言明しました。「歴史は我々がアメリカ合衆国憲法をくつがえし台無しにするという重大な過ちを犯したのだということを記録するであろうと私は信じる。

……次の世紀のうちに、将来の世代の人々はこのような歴史的な過ちを現に犯そうとしている連邦議会を落胆と大いなる失望をもって見ることになるだろうと私は信じる。」
 モース上院議員は正しかったのです。私は今日、同じ過ちを 私たちが犯しているのではないかと恐れています。そして私はその結果を恐れています。私はこの投票をするのに 思い悩んできました。
 しかし私は今日、ナショナル・カテドラルでのとてもつらいが美しい追悼会の中でこの投票に正面から取り組むことにしたのです。牧師の一人がとても感銘深く「私たちは行動する際には、 自らが深く悔いる害悪にならないようにしましょう。」と語ったのです。

Statement of Rep. Barbara Lee on the floor of the House of
Representatives
Sept. 14, 2001.

Mr. Speaker, I rise today with a heavy heart, one that is filled with sorrow for the families and loved ones who were killed and injured in New York, Virginia, and Pennsylvania. Only the most foolish or the most callous would not understand the grief that has gripped the American people and millions across the world. This unspeakable attack on the United States has forced me to rely on my moral compass, my conscience, and my God for direction.

September 11 changed the world. Our deepest fears now haunt us. Yet I am convinced that military action will not prevent further acts of international terrorism against the United States. I know that this use-of-force resolution will pass although we all know that the President can wage a war even without this resolution. However difficult this vote may be, some of us must urge the use of restraint.

There must be some of us who say, let's step back for a moment and think through the implications of our actions today--let us more fully understand its consequences. We are not dealing with a conventional war. We cannot respond in a conventional manner. I do not want to see this spiral out of control. This crisis involves issues of national security, foreign policy, public safety, intelligence gathering, economics, and murder. Our response must be equally multi-faceted.

We must not rush to judgment. Far too many innocent people have already died. Our country is in mourning. If we rush to launch a counter-attack, we run too great a risk that women, children, and other non- combatants will be caught in the crossfire. Nor can we let our justified anger over these outrageous acts by vicious murderers inflame prejudice against all Arab Americans, Muslims, Southeast Asians, or any other people because of their race, religion, or ethnicity.

Finally, we must be careful not to embark on an open- ended war with neither an exit strategy nor a focused target. We cannot repeat past mistakes.
In 1964, Congress gave President Lyndon Johnson the power to ``take all necessary measures'' to repel attacks and prevent further aggression. In so doing, this House abandoned its own constitutional responsibilities and launched our country into years of undeclared war in Vietnam.

At that time, Senator Wayne Morse, one of two lonely votes against the Tonkin Gulf Resolution, declared, ``I believe that history will record that we have made a grave mistake in subverting and circumventing the Constitution of the United States.........I believe that within the next century, future generations will look with dismay and great disappointment upon a Congress which is now about to make such a historic mistake.''

Senator Morse was correct, and I fear we make the same mistake today. And I fear the consequences. I have agonized over this vote. But I came togrips with it in the very painful yet beautiful memorial service today at the National Cathedral. As a member of the clergy so eloquently said, ``As we act, let us not become the evil that we deplore.''
●世界貿易センタービル・米国国防総省ビル攻撃に関する緊急声明
【IMADR】世界貿易センタービル・米国国防総省ビル攻撃に関する緊急声明
                           2001年9月13日
                           反差別国際運動事務局長・武者小路公秀

 反差別国際運動は、9月11日アメリカ合州国で起きた、民間航空機をハイジャックし、何千人もの人々を殺傷した攻撃を強く非難すると同時に、犠牲となったすべての方々と遺族に対し哀悼の意を表明する。このような行為はその動機が何であれ、決して正当化されるべきものではない。私たちはこの行為に責任を負う者が突きとめられ、法の裁きを受けることを望むものである。

 同時に、反差別国際運動は、人種主義・排外主義に反対する人権団体として、まだ犯人の特定につながるような状況も生じていない段階で、すでにこの事件をイスラム教徒とイスラム世界、あるいはこれと区別せずにアラブ人全体と結びつけた、憎悪に駆られた言動が米国内で起こっていることに憂慮を表明する。米国内の報道や、アラブ系アメリカ人の団体の声明等によると、アラブ系市民やイスラム教徒の団体・メディアに対する脅迫、インターネット上の差別的、扇動的な書き込みなどが出現している。そのためイスラム教徒やアラブ人は脅威を感じ、例えば外出を控えるなどの対応を迫られるという影響が出ている。同様の状況は1995年のオクラホマ・シティ連邦ビル爆破事件の直後にも見られた。真犯人が逮捕されるまで、アラブ系市民が経営する店が略奪されるなど、約200件の嫌がらせがあったと言われている。

 私たちは、今回の事件の犯人を、ある特定の民族・宗教グループに短絡的に結びつけるべきではないと考える。今回の攻撃に責任をもつのはある特定の個人または集団であって、これがたとえ所属しているとしても、民族や宗教グループそのものではない。全世界の政府、市民、メディアは、この事件の故に特定の民族・宗教グループに属する無実の個人が嫌がらせや差別、憎悪煽動の対象とならないようにそれぞれに警戒し、嫌がらせなどの行為を防止し、また起こった場合には法にのっとり、またいかなる状況でも人種差別と不寛容を許さないという精神でもって、必要な措置・行動をとるべきである。

 テロ撲滅のためには手段を選ばないという姿勢は正当化されてはならない。なぜなら、そうした姿勢に基づく行動は、自ら進んで「文明の衝突」に突っ走るのみならず、多くの人権侵害が生まれる可能性を十分にはらむからだ。
 また、アメリカ政府はこの行為を戦争ととらえているが、これは、無関係の人々を無差別に巻き込むことになる報復措置につながってしまう。そうした措置をとるとすれば、それは新たなテロや反発を生むことになり、状況をより悪化させるだけである。

 必要なのは今回の攻撃に責任ある者が、国際人道法および国際人権法に従った公正な裁きにかけられるということであり、そもそも今回のような事態を生まない状況を作るためにはどうすべきか、国際社会は真剣に知恵を絞るときに来ている。
●戦争抵抗者連盟(War Resisters League)の声明
戦争抵抗者連盟(War Resisters League)の声明
2001年9月11日
ニューヨーク

 わたしたちがこれを書いているいま、マンハッタンは包囲攻撃を受けているように感じられる。すべての橋、トンネル、地下鉄が閉ざされ、何千人、何万人もの人々がマンハッタン南部から北へゆっくり歩いている。ここ戦争抵抗者連盟の事務所にすわっていて、わたしたちがまず想うことは、世界貿易センターの崩壊で命を落とした何千人ものニューヨーカーのことである。天気は快晴で、空は青い。しかし、煙りの下の瓦礫の山の中でおびただしい数の人々が死んだ。その中には、ビルの崩壊のときその場にいた数多くの救急隊員も含まれている。

 もちろんわたしたちは、ワシントンの友人・同僚たちが、ペンタゴンにジェット機が突入したときに巻き添えになった一般市民について想っていることを知っている。そしてわたしたちは、この日ハイジャックされた飛行機に乗っていた何の罪もない乗客たちのことを想っている。現時点で、わたしたちはどこから攻撃が来たのかわからない。

 わたしたちは、ヤサー・アラファトが攻撃を非難したことは知っている。もっと情報が入るまで、詳しい分析は差し控えるが、しかし幾つかのことは明らかである。ブッシュ政権はスター・ウォーズ計画に膨大な支出をすることを議論しているが、それが最初からでたらめであることははっきりしている。テロリズムはもっとありふれた手段でこんなにたやすく攻撃することができるのである。

 わたしたちは、合衆国議会とブッシュ大統領に対して、次のことを求める。これから米国がどのような対応をするにしても、米国は一般市民をターゲットにすることはしないこと。一般市民をターゲットにする政策をいかなる国のものであれ認めないこと。これらのことをはっきり認めてほしい。このことは、イラクに対する制裁──何万人もの一般市民の死をもたらしている──をやめることを意味するであろう。このことはまた、パレスチナ人によるテロリズムのみならず、イスラエルによるパレスチナ人指導者の暗殺や、イスラエルによるパレスチナ住民に対する抑圧、西岸およびガザ地域の占領も非難することを意味するであろう。

 米国が追求してきた軍国主義の政策は、何百万もの死をもたらした。それは、インドシナ戦争の悲劇から、中米およびコロンビアの暗殺部隊への財政援助、そしてイラクに対する制裁や空爆などに至る。米国は世界最大の「通常兵器」供給国である。米国が供給する兵器は、インドネシアからアフリカまで、最も激しいテロリズムを助長している。アフガニスタンにおける武力抵抗を支援した米国の政策が、結局、タリバンの勝利とオサマ・ビン・ラディンをつくりだしたのである。

 他の諸国も同じような政策をとってきた。わたしたちは、これまで、チェ
チェンにおけるロシア政府の行動や、中東およびバルカンにおける紛争当事者の双方の暴力などを非難してきた。しかし、米国は自己の行動に責任をとるべきである。たったいままで、わたしたちは国境内で安全だと思ってきた。快晴の日、朝起きてみて、米国の最大の都市が包囲攻撃されているのを知って、わたしたちは、暴力的な世界においては誰ひとり安全ではない、ということを思い起こした。何十年もの間、米国をとらえてきた軍国主義を、いまこそ終わらせるべきである。

 わたしたちは、軍拡と報復によってではなく、軍縮、国際協力、社会正義によって安全が保障されるような世界をめざすべきである。わたしたちは、きょう起きたような、何千人もの一般市民をターゲットにする攻撃をいかなる留保もなしに非難する。しかしながら、このような悲劇は、米国の政策が他国の一般市民に対して与えているインパクトを想起させるものである。わたしたちはまた、米国に住むアラブ系の人々へ敵意を向けることを非難し、あらゆる形態の偏見に反対してきた米国人のよき伝統を思い起こすよう求める。

 わたしたちはひとつの世界である。わたしたちは、不安と恐怖におびえて暮らすのか、それとも暴力に代わる平和的なオルタナティヴと世界の資源のより公正な分配をめざすのか。わたしたちは失われた多くの人々を悼む。が、わたしたちの心が求めているのは、復讐ではなく和解である。

 ………………………
 これは戦争抵抗者連盟の公式の声明ではないが、悲劇が起きた直後に書かれた。戦争抵抗者連盟の全国事務局のスタッフと執行委員会のメンバーが署名して、公表される。
                          2001年9月11日
                           asif ullah
                           Carmen Trotta
                           Chris Ney
                           David McReynolds
                           Joanne Sheehan
                           Judith Mahoney Pasternak
                           Melissa Jameson
                           (君島東彦訳)

● 秋田県の古民謡1001曲を収録したCD−ROM「秋田県の民謡」を発行

 財団法人民族芸術研究所から秋田県の古民謡1001曲を収録したパソコン検索で聴くCD−ROM「秋田県の民謡」を発行します。
 かつて生産労働の現場で歌われ、今はまったく忘れられた古い民謡を現地収録した録音テープが、研究所には北海道から沖縄まで、全国の都道府県の15万曲が収蔵されていますが、その内の秋田県の分を収録したのが今回の製品です。全1001曲を一枚のCD−ROMに納め、市町村名、曲名、分類別に単語検索によって自由自在に検索して聴くことが出来ます。このような機能を備えた古民謡のCD−ROMの制作は日本で初めての試みで、発表と同時に大きな反響がまき起こっています。全国の仲間の皆さん、是非ご活用下さい。購入ご希望の方は、メールで御連絡下さい。当方より直接お送りいたしますので、代金は、同封の郵便振込用紙にて御送金下さい。
 なお価格は、5,000円+消費税250円です。郵送の場合は、送料共で5,500円です。とにかく格安でお買い得の製品です。沢山の皆さんからのご注文をお待ちしています。

 問い合わせ・注文先  財団法人民族芸術研究所
            TEL 0187−44−3911
            FAX 0187−44−3972
                                      (2001/9/11)

● 「つくる会」教科書の最終採択情報
「つくる会」教科書の不採択が決まった地区     (8月2日現在判明分)

                         子どもと教科書全国ネット21事務局作成

北海道:全地区(24)
青森県:中弘(弘前市など)
宮城県:仙台市、1地区(非公開のため地区名は表示しない)
山形県:全地区(11)
福島県:郡山市
茨城県:2地区(非公開のため地区名は表示しない)
栃木県:全地区(8)
群馬県:全地区(9)
埼玉県:全地区(10)
千葉県:5地区(非公開のため地区名は表示しない)
東京都:狛江市、小笠原、稲城市、千代田区、国立市、杉並区、あきる野市、立川市、八王子市、昭島市、清瀬市、西多摩郡、武蔵野市、西東京市、東村山市
神奈川県:全地区(35)
長野県:全地区(15)
新潟県:全地区(14)
富山県:全地区(10)
石川県:全地区(9)
福井県:全地区(5)
静岡県:全地区(11)
愛知県:全地区(9)
三重県:全地区(9)
岐阜県:全地区(6)
滋賀県:全地区(6)
奈良県:第一(奈良市など)、第二(大和郡山市など)
京都府:全地区(10)
大阪府:堺市、藤井寺市、富田林市、大阪狭山市、箕面市、豊中市、池田市、大阪市第一、大阪市第二、大阪市第三、大阪市第四、大阪市第五、大阪市第六、大阪市第七、大阪市第八、羽曳野市、南河内郡、寝屋川市、枚方市
和歌山県:西牟婁(田辺市など)、1地区(非公開のため地区名は表示しない)
兵庫県:神戸市、伊丹市、西宮市、明石市、加印(加古川市など)、淡路(洲本市など)、宝塚市、尼崎市、川西市、芦屋市、但馬(豊岡市など)
岡山県:岡山市
広島県:大竹市 全地区(30)決定済み(非公開であるがゼロの情報あり)
山口県:全地区(10)
徳島県:全地区(4)
愛媛県:松山(松山市など)、今治(今治市など)
福岡県:北九州市
佐賀県:全地区(5)
長崎県:1地区(非公開のため地区名は表示しない)
熊本県:1地区(非公開のため地区名は表示しない)
大分県:全地区(6)
鹿児島県:全地区(12)
沖縄県:全地区(6)
                (全国542地区中339地区の約63%)

「つくる会」教科書が採択されそうな「危ない地区」情報
東京都の危ない地区の採択日です。最後まで気を引き締めて、1地区たりとも採択させないように、奮闘しましょう。
大田区   8月10日     非公開 教育委員会 Fax:03-5744-1538
豊島区   8月6日     非公開 教育委員会(区役所)Fax:03-3981-3019
調布市   8月3日     公開  教育委員会 Fax:0424-81-6466
荒川区   8月10日    非公開 教育委員会 Fax:03-3801-9825
練馬区   8月7日     非公開 教育委員会 Fax:03-3993-1196

都立養護学校がピンチ!
東京都教育委員会は、都立ろう学校、養護学校(肢体不自由、知的障害、病弱)の教科書として、「つくる会」歴史・公民教科書を採択しようとしています。8月7日9時30分に教育委員会を開催して決定します。都立養護学校で中学部あるのは、肢体不自由部門14校、知的障害部門21校2分校、病弱部門2校の計39校です。都教委は、「つくる会」教科書の採択推進の陣頭指揮をとる石原慎太郎都知事の直轄であり、2月に「つくる会」の主張と同じ採択制度改悪の「通知」を出した「実績」があります。内定したという情報まありますが、まだ、変更させる可能性は十分あります。
東京都教育委員会に対して採択しないように、要請行動をお願いします。

東京都教育委員会 委員長 清水司 教育長 横山洋吉
〒163−8001 新宿区西新宿2−8−1 пF03−5320−6733 Fax:03−5388−1726
    E-mail kotyo@kyoiku.metro.yokyo.jp    http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/

福岡市があぶない
福岡市で福岡市で扶桑社教科書の採択の可能性が出てきた、と危ぶまれています。8月1日のRKBテレビで報道され、西日本新聞に「採択結論出ず」と掲載されていました。福岡市教委は採択に関しては全面非公開で、8月15日の県教委への報告締切りまでは採択結果はもちろん、途中経過も公表しない、採択を議題とする教育委員会は傍聴できないという方針です。地元の方からの要請もあり、8月7日の最後の教育委員会が開かれるまで、福岡市教委に申し入れなどのFAXをお願い致します。
福岡市教育委員会  委員長 西山陽夫
              教育長 生田征夫
     FAX番号  092-711-4600

「つくる会」教科書を採択した私立中学校
栃木県国学院栃木、茨城県常総学院、岐阜県麗澤瑞浪、三重県津田学園、同皇學館、徳島県生光学園(公民のみ)など(「産経」7/13は約20校と報道)

● 韓国総領事からのメッセージ
歴史教育者協議会 第53回全国大会参加者の皆様へ

駐横浜大韓民国総領事館
                     総領事  徐 賢 燮

 第53回歴史教育者協議会にご参加の皆様に、開催地横浜の大韓民国総領事として歓迎のご挨拶を申し上げます。
韓国と日本の二つの国は、隣人として数千年にわたる交流と付き合いの歴史の中で様々な面で互いに学び合ってきました。しかし、20世紀は日本による植民地支配という不幸な歴史を経ながら、距離の上では大変近くとも、意識の上では疎遠な関係にあった時代でした。21世紀には韓日両国が過去の歴史の足枷から脱し、文字通りの善隣友好関係が構築されることを切に願っております。
 このような新時代にふさわしく、近年韓日両国間において人や物の交流が急増しつつあります。2002年サッカーのワールドカップ韓日共催は不幸な過去の歴史に終止符を打ち、新しい21世紀に向けた韓日パートナーシップを築く絶好のチャンスだと期待しております。
 しかし、韓国国民が今も依然として鮮明に記憶している日本帝国主義の名状しがたい苦しみや痛みまでもを歪曲し、美化する一部の教科書問題は日韓関係に暗い影を落としています。この動きは1995年の村山総理との会談と韓日パートナーシップ共同宣言、そして1998年の故小渕総理によって明確となった日本政府の歴史認識と大きく異なる、またこれまでの韓日両国間の学者によって進められた成果から後退したものです。
 21世紀において日本はアジアは勿論、世界の中で重要な役割と責任を果たすことが期待されております。グローバルな地球時代の21世紀を担う次世代の育成に求められるのは、相互理解と尊重の精神だと思います。このような精神は過去の歴史を正しく理解することから始まるものであります。未来への期待に反する歪曲した教科書問題と敢然と戦っている歴史教育者協議会の皆様に心から感謝の意を表する次第であります。
 最後になりましたが、日韓友好協力関係のますますのご発展を心より祈念するとともに、歴史教育者協議会のご活躍、並びに大会のご成功をお祈り申し上げます。
ありがとうございました。

● ペリ―の白旗書簡は偽文書である
1.『中学社会  新しい歴史教科書』第176ペ−ジに、「ペリ−が渡した白旗」と題するコラムがある。そこには「幕府が国書の受け取りを拒絶できなかったのはなぜか。それには手紙が添えられ、「開国要求を認めないならば武力に訴えるから防戦するがよい。戦争になれば必勝するのはアメリカだ。いよいよ降参というときにはこの白旗を押し立てよ。そうすれば和睦しよう」と書かれてあった。武力で脅して要求をのませるこういうやり方は、「砲艦外交」と呼ばれ、欧米列強がアジア諸国に対して用いてきた手法だった。」と述べられている。 
2.ここで述べられているペリ−書簡なるものの出典は、嘉永6年6月9日に下に疑問符のつけられた史料(『大日本古文書 幕末外国関係文書 一』、1910年刊)である。同書の凡例には「其疑ハシキモノニハ(?)ヲ附セリ」とあり、疑問符を解除する責任は利用者にある。以下、コラムが利用した部分を引用する。「一亜墨利加国より贈来ル箱の中に、書翰一通、白旗二流、外ニ左之通短文一通、皇朝古体文辞  一通  前田夏陰読之漢文      一通  前田肥前守読之英吉利文字   一通  不分明 右各章句の子細は、先年以来、彼国より通商願有之候処、国法之趣にて違背に及、殊ニ漂流等之族は、自国之民といへ共、撫恤せざる事、天理に背き、至罪莫大に候、依ては通商是非是非希ふにあらす、不承知に候べし、此時ハ時宜に寄、干戈を以て、天理に背きし罪を糾也、其時は、又国法を以て、防戦致されよ、必勝ハ我にあり、敵対兼可申歟、其節に至て、和降願度候ハハ、予か贈る所の白旗を押立示すべし、即時に砲を止め艦を退く、此方の趣意如此、」
3、この書簡は、明々白々の偽文書である。この書簡を正しいと主張するためには、ペリ−が、日本側に日本語古文(皇朝古体文辞)の書簡を送ったことを論証しなければならず、更に、ペリ−の側近に日本語古文が流暢に書ける者が存在したことを立証しなければならない。これは歴史の範囲の外にでて、ミステリ−小説のテ−マなのである。教科書執筆者の勇気に感嘆する。一読して明瞭なように、ペリ−が英語原文の外に、漢文訳文とともにオランダ訳文を添えていたことの情報すらつかんでおらず、逆にペリ−が用意してもいない日本語古文を添えてきたと書くレヴェルの日本人が執筆した偽文書なのである。
4、1853(嘉永6)年和暦6月3日、艦隊を率いて江戸湾に進入したペリ−は、4日、長崎に行けと主張する日本側と、国書の受け渡しをめぐって、殺気をはらんだ激しい交渉をおこない、結局日本側が折れ、6月9日、久里浜において、米国国書・ペリ−書簡授受式がおこなわれた。そこで米国側が日本側に手渡したものは、ペリ−の『日本国遠征日記』(1985年刊、雄松堂)の同日の記述によれば、「私は大統領の書簡、私の信任状、及び私自身の三通の通信文を、それぞれ英語、オランダ語、シナ語で書かれた写しと一緒に手渡
し、これに対して伊豆侯は、私にその受領書をよこした」とある。ここでいうペリ−の通信文とは、即ち、@ 大統領親書の趣旨を具体的に述べるとともに、必要とあらば来春更に大艦隊を率いて江戸に来航する計画を明言した書簡(和暦では6月2日付)A 大統領親書と信任状捧呈のための日時決定を求める書簡(和暦では6月7日付)
B 日本政府に対する提案が非常に重大なものなので、来春再渡航するまで回答の受け取りは延期し、日本側の回答が穏便なものであり、かつ両国民が満足のいくものであることを期待する旨を述べた書簡(和暦では6月8日付、但し米国側控の日付は翌日付)の三通のことである。この点については、米国政府の正式報告書『ペリ−提督日本遠征記』でも、現在米国の国立公文書館に保管されている、久里浜での交渉を詳細に報告した海軍長官あてペリ−レポ−ト(1853年7月30日付、沖縄那覇発、和暦では6月25日にあたる)でも全く同一である。ペリ−の白旗書簡なるものは、国立公文書館には全く存在していないのである。 
5、日本政府側には、ペリ−の日記にあるように、総計5通の英文原本のほかに、オランダ訳文5通、漢文での訳文5通が手渡された。これをうけ、日本政府は、漢文からの翻訳者及びオランダ文からの翻訳者を複数名任命して翻訳を急がせ、6月26日以降、諸大名と幕臣に、総計10通の翻訳文を何一つ秘密にすることなく開示し、広く今後の対応に関する意見をもとめたのである。日本国内においては、老中等幕府中枢にいた大名家や海防参与となって機密文書を自由に見ることの出来た徳川斉昭の水戸徳川家、更に斉昭の意見書の草案を執筆する立場にいた藤田東湖家からは、何一つ、このペリ−の白旗書簡なるものは発見されてはいないのである。
6、これに関し、斉昭は白旗書簡を知っていたと主張する人がいる。その根拠として挙げられるのが、7月3日に海防参与に任命された彼が、同月10日に提出した「海防愚存」の中の一節である。即ち、「此度渡来之アメリカ夷、重き御禁制を心得ながら浦賀え乗入、和睦合図之白旗指出し推て願書を奉り、剩内海え乗込空砲打鳴し、我侭に測量迄致し、其驕傲無礼之始末言語同断」の白旗の部分を、ペリ−の白旗書簡の存在証明とするのである。しかしながら、この主張は成立しない。この文章の流れは、斉昭から見て、軽微なものから重大だと考えるものに移行していっていることは、異論のないところであろう。斉昭にとっては、国書を差し出すことよりも、日本の領海であることを無視して、測量をおこなうことのほうが、日本を侮辱した行為なのである。白旗書簡は、コラムが正確に評価しているように、日本に対し戦争を挑発し、日本を軽蔑しきった極めて悪質な書簡なのである。普通の日本語の感覚を持っている日本人の文章ならば、強引な国書捧呈、領海無視の測量行為、そして次にこの白旗書簡への非難という流れになる筈である。ところが、この文章はそうはなってはいない。それのみならず、強硬派の斉昭であれば、あらゆるところで利用してしかるべきこの白旗書簡に、いかなるところでも全然言及していないのである。おかしいではないか。解釈が間違っているとしか考えようがない。答えは簡単に見つけることができる。『水戸藩史料 上巻巻二』には、幕府の諮問に答えた斉昭の長子で、当時の水戸藩主だった徳川慶篤の建議も載せられている。当然、父親斉昭の「海防愚存」を下敷きにしており、文章もしき写している。対応する部分を示すと、「亜墨利加人共委細御国禁を相弁えながら、浦賀表へ渡来、恐多くも御直ニ書翰差上度旨申上、剩内海へ乗入空砲打鳴し、浅深測量迄いたし」云々となっているのである。ここの「恐多くも御直ニ書翰差上度申上」が、斉昭の文章の「和睦合図之白旗指出し推て願書を奉り」と正確に対応しているのである。従って、無理のない解釈は、鎖国を知っているにも拘らず、自分たちは友好のために来たと主張し、和睦の記しなのだと説明をつけて白旗をさしだし、強引に国書を受け取らせた、ということとなる。事実、ペリ−側は、測量船総てに白旗を建てさせて、友好の記しなのだと日本側にくどいほど説明していただけではない。ペリ−の乗っている旗艦からも白旗を差し出し、日本側に見えるようにしていたことは、ウィリアムズの『ペリ−日本遠征随行記』(1970年刊、雄松堂)95ペ−ジにも書かれていることなのである。斉昭は、この間の交渉の実態に精通していたので、前述のような書き方をしているのである。あとひとつ。この白旗書簡なる偽文書は、後述のように、8月に初出し、9月に広範に伝えられていったもので、7月10日の段階では、斉昭にとって全く関知するところのものではなかったのである。
7、ここで偽文書といったが、この文書は本物のペリ−書簡よりも興味深いものである。当時の日本人(武士階級も含め)がどのような気持ちで、この間の交渉を凝視していたかがよくわかる史料だからである。6月下旬より各大名家・幕臣に対し諮問を行ったとはいえ、来春大艦隊の来航が必至であるにも拘らず、幕府の方針は8月にはいってもなんら提示されなかった。国内の苛立ちを、この白旗書簡はなによりも雄弁に物語っている。私の知る範囲では、この白旗書簡は8月、それもおそらくは中旬以降に現れ始め、9月には全国的に伝播されていった。私の推量では、おそらく作者は幕臣内部の対外強硬派である。この史料は、いずれも真偽を問わない諸情報・風説・流言飛語・民衆風刺等を書き留める風説留というものにのみ見出だされ、権力中枢の人々の史料にはないことが特徴である。しかもこの史料があるいは確かなものかもしれないと思わせる一つの前提が存在した。6月4日、米国側は、もし日本側が国書を受け取らないのならば、武装力を上陸させても国書を受け取ってもらうほかない。その結果に関して責任は持てない。しかし、そのような場合でも、交渉のため、あなた方が白旗をかかげてやってくるならば、我々は友好的に迎えいれようとの趣旨の発言をしており、このことは、国内において様様な風説・流言となっていったのである。
8、最後に何故『幕末外国関係文書』第一巻の編纂者が、この白旗書簡に疑問符を附して掲載し、偽文書として削除しなかったかという点に付いて考えてみたい。以下資料がないので、私の個人的な推量にとどまる。ひとつには、当時米国側の史料は、英文の『ペリ−提督日本遠征記』だけであった。文書館の調査は行われてはいなかったのである。他方、国内の旧大名家の史料調査も殆ど行われてはいなかった。断定するには一抹の不安が存在してはいなかったろうか。そして、この白旗書簡を偽文書と断定したのが、文部省そのものだったのである。1911年、文部省の下に設置された維新史料編纂会は、国内において各大名家の史料調査を精力的に遂行するなかで、白旗書簡が存在しないことを確認するとともに、1930年から1931年にかけ、維新史料編纂官藤井甚太郎を欧米の文書館に派遣して、日本関係の外交文書を調査させた。藤井は米国の国立公文書館も調査し、上述の海軍長官あてペリ−レポ−トを精査し、タイプに写し取った。この結果、『大日本維新史料』(戦前一部出版)の原稿(4200余冊)の嘉永6年6月9日の条からは、白旗書簡は削除され、この史料を基とした維新史概説書『維新史』第一巻(文部省維新史料編纂事務局編、1939年刊)の国書授受式の記述において、白旗書簡はなんら言及されることはなかったのである。実証主義の成果である。従って、戦時下、反米意識の高揚に腐心していた日本軍部においても、ペリ−の白旗書簡に対し、なんら食指を動かすことがなかったのは当然であろう。
幽霊の正体見たり枯れ尾花
● 「許すな!憲法改悪・市民連絡会」が取り組みを呼びかけ
 「許すな!憲法改悪・市民連絡会」では下記を小泉首相および各政党代表者、報道機関などに送付しました。また、首相の靖国参拝をめぐって、きわめて重大な局面を迎えているから、多方面から抗議のFAXを送るなどの取り組みをよびかけています。
小泉純一郎事務所FAX  03−3581−3883
首相官邸首相秘書室電話 03−3581−0101
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 小泉首相は靖国神社参拝をただちに断念すべきです。
 小泉首相が就任以来、8月15日に靖国神社に参拝すると言明しつづけていることにたいして、日本の各界の人びとからあいついで抗議や憂慮の念が表明されています。そして国内だけでなく、さきのアジア・太平洋戦争の被害をこうむったアジア各国の人びとからも怒りの声が上がっています。
 靖国神社は宗教法人であり、そこに首相が参拝することは、憲法の政教分離原則に違反するものであり、またさきのアジア・太平洋戦争の戦争責任に関する歴史認識にかかわる重大な問題であり、戦争加害者の行為を賛美することにもつながります。
 憲法の政教分離原則は、政治と宗教が一体となった国家神道が、人びとを戦争に駆り立てたことにたいする反省に立って確立されたものです。アジア・太平洋戦争ではアジア諸国からも多くの犠牲者をだしたことは周知のことであり、戦争犯罪人も合祀されている靖国神社にたいして、首相が「国のためになくなった人のお参りをしてなぜ悪いのか」などということは、アジア各国の人びとの気持ちを逆撫でするものです。
 私たちは憲法の諸原則を生かし、社会に根付かせていくことをこころから願い、アジアの人びとと平和と友好のうちに21世紀をともに生きていきたいと願う全国各地の150をこえる市民団体のネットワーク組織として、首相がただちに靖国参拝を断念するよう、つよく要請します。
2001年7月4日
許すな!憲法改悪・市民連絡会
千代田区三崎町2の21の6管波ビル302
電話 03−3221−4668
FAX03−3221−2558
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4月24日 自民党総裁就任会見 小泉総裁「日本の繁栄は尊い犠牲の上に成り立っている。純粋な気持ちを参拝で表す」
5月9日 衆院本会議 首相「個人として靖国神社に参拝するつもりだ」。記者団に「首相の肩書きは消せない」
5月10日 小泉純一郎首相 衆院本会議で、「戦没者に対する心からの敬意と感謝の気持ちを込めて、8月15日に(靖国神社を)参拝するつもりだ」
5月14日 衆院予算委員会 首相「公式とか非公式とかという議論が分からない」「靖国神社に参拝することが憲法違反とは思っていない。A級戦犯が祭られているからいけないとも思わない」
5月17日 中国が参拝中止を求めたことについて記者団に 首相「(対応に)変わりはない。戦没者への慰霊の気持ちでお参りするのは世界共通のことじゃないか」
5月18日 公明党の冬柴鉄三幹事長は、首相官邸での政府与党連絡会議で小泉純一郎首相に「靖国神社は戦争中に国家神道の象徴的な施設にされ、軍国主義と切っても切り離せない。78年にA級戦犯を合祀(ごうし)したが、中国は日本国民に対する加害者を合祀して国民が慰霊するのはおかしいとしている」と述べ、靖国神社に公式参拝しないよう重ねて求めた。
5月24日 小泉純一郎首相 米CNNテレビのインタビューで、靖国神社参拝や憲法改正に関する首相の発言に、韓国や中国などから右傾化の懸念が出ていることについて「憲法改正を右傾化だとか、靖国神社参拝は軍国主義を賛美することだとかいう考え方は誤解や偏見に基づいていると考える」と反論
5月30日 参院予算委員会 首相「結論から言えば(参拝の意向は)変わらない。8月15日は日本国民にとって大事な日だ。2度と戦争を起こしてはならない、そして祖国のために命を亡くした人に敬意を表したいというから参拝をしたいと考えている。犠牲になった人に感謝を捧げる行為が、毎年毎年、議論になるというのは好ましくない。この行為に対して中国・韓国が不快の念を持たれるなら、不快の念を取り除くような相互理解と友好関係の改善を図ることが同時に必要だ。この問題について外交問題として取り上げるのはやめようと、そういう気持ちにしていきたい。」
6月12日 神崎武法公明党代表 文化放送のラジオ番組収録で「小泉人気の陰に隠れないよう独自性を訴えていかねばならないので苦労する。構造改革の考え方では基本的に一致している。確かに靖国神社参拝や集団的自衛権では小泉さんの考えと違う。違う点は明確に申し上げていく。」
6月15日 政府は閣議で、小泉総理大臣が八月十五日に靖国神社を参拝する意向を示していることについて、公式参拝として行うかどうかは、遺族の思いや近隣諸国の国民感情などを総合的に考慮して判断するとした答弁書を決た。この答弁書は、民主党の石井一氏が提出した質問主意書に対するもの。「小泉総理大臣は、今日のわが国の平和と繁栄は戦没者の尊い犠牲のうえにあり、二度と戦争を起こしてはならないという気持からも靖国神社に参拝する考えを持っている」としたうえで、「公式参拝として行うかどうかについては、わが国の国民や遺族の思い、近隣諸国の国民感情など、諸般の事情を総合的に考慮し、慎重かつ自主的に検討したうえで判断すべきであると考えている」小泉総理大臣は、夕方、総理大臣官邸で記者団に対し、八月十五日に靖国神社に参拝する意向に変わりはないという考えを重ねて示した。
6月16日 自由党の小沢一郎党首、福島県いわき市のホテルで小泉純一郎が靖国神社を参拝する意向を示していることについては「先人への感謝の気持ちを表すのは当然」と一定の理解を示した。
6月20日 小泉純一郎首相党首討論で、靖国神社への公式参拝に関連して、社民党の土井たか子党首が「国立の墓苑施設を造るべきだ」と主張したのに対し、首相は「靖国神社は戦没者に対する慰霊の中心的施設という受け止め方が遺族に多い。そういう方々の心を無視するのはいかがなものか。毎回毎回(党首討論で)参拝を非難する心情が分からない」と、予定通り参拝する意向を重ねて示した。
6月20日 公明党の神崎武法代表記者会見「信教の自由の立場からすれば、個人で参拝するのは自由だが、8月15日に首相の立場で参拝されるのは慎重にされた方がいい。8月15日は意味のある日だから近隣諸国の皆さんも関心を持っている。」
6月22日 安倍晋三官房副長官 民放テレビ番組の収録で、「波風が立った時に、関係が悪化しないようにするのが外交だ。主張しながら信頼関係を作る努力をしなければならない」
6月23日 小泉純一郎首相は沖縄全戦没者追悼式に参列後、平和祈念公園内で報道各社のインタビューに、今回の沖縄訪問が終戦記念日の靖国神社参拝への布石との見方があることに対し、「特別に連携したものではない。戦没者に哀悼の誠をささげる。二度と戦争を起こしてはならないとの気持ちで靖国神社に参拝したい」と述べた。
6月25日 陳健駐日中国大使 首相官邸を訪れ、小泉純一郎首相に離任のあいさつ。靖国神社参拝について「単純な内政問題ではなく、中国やアジアの人々の感情にかかわる問題だ。日本側が慎重に熟慮されるよう希望する」
6月25日 小泉純一郎首相は参院決算委員会で、国民や来日した外国の要人が献花できる国立墓苑の設置が与野党から提案されていることについて「貴重な意見だと思う。検討してみたい」と前向きに検討する考えを表明した。この後、首相官邸で記者団にも「造るんだったらいいものを造りたい。前から私も考えていた。各方面の意見をよく聞いた方がいい」と強調。新たな国立墓苑の設置は民主、社民両党や与党の公明党も積極的に求めている。首相は二十日の党首討論では消極的な姿勢を示していた。政府筋「個人的にはつくるべきだと思う。10人程度の懇談会で決めるという問題ではなく、国民的議論が出て、ということが前提」
6月26日 小泉純一郎首相が打ち出した国立墓苑の設置構想をめぐり、田中真紀子外相が推進を首相に進言していることを明らかにしたのに対し、福田康夫官房長官が「千鳥ケ淵も一つの候補だが、いろいろ意見があり、そう簡単ではない」と慎重な構えを見せ、首相を支える両者の温度差が表面化。外相は参院外交防衛委員会の答弁で「首相に、どんなことがあっても国立墓苑をつくっていただきたい。小泉内閣としてどうしてもやるべき問題だと申し上げた」と強調。一方、福田長官は午後の記者会見で、現在ある千鳥ケ淵戦没者墓苑の拡充案を含め国立墓苑の実現は容易ではないとの認識を表明。検討のために首相の諮問機関などを設ける可能性についても「どんな検討ができるのか、確かな目算があるわけではない。すぐにどうこうとは考えていない」と述べるにとどまった。
6月28日 自民、公明、保守の与党3党の幹事長、国対委員長らが、小泉純一郎首相や田中真紀子外相が前向きな姿勢を示している戦没者の国立墓地設立構想について協議。公明党と保守党が「無宗教で、外国の国家元首がお参りできるところは必要だ」と主張したが、自民党はまず党内論議を進める考えを示した。公明党が「国立墓地検討委員会」を設置、29日に初会合を開くことを決めたのに対し、自民党首脳は意見集約は困難との見通しを記者団に示した。自民党内は「意見集約に1年以上もかかる」(首脳)と慎重論が大勢。「千鳥ヶ淵戦没者墓苑はそもそも国立の墓地であり、屋上屋を架すもの」「靖国神社をないがしろにするもの」「前向きに検討するといっても後ろ向きに検討するという人もいる」などなど。
6月29日 毎日新聞社による、民主党議員アンケート小泉首相は8月15日に靖国神社へ参拝すると約束しています。どう思いますか。(1)参拝していい9% (2)参拝すべきでない42% (3)私的な立場で参拝するならいい 34%
6月29日 第2次大戦中、旧日本軍に軍人や軍属として徴用された韓国人が、日本人の軍人らと一緒に靖国神社に祭られているのは人格権の侵害に当たるなどとして、韓国人の遺族ら計252人が国を相手取り、一緒に祭るのをやめるよう求める訴訟を、東京地裁に起こした。 訴えによると、第2次大戦で40万人近い朝鮮人が「天皇の赤子」として日本軍に徴用されて戦場に送られたが、このうち15万人が帰還しなかった。戦後は韓国の旧軍人・軍属に対する補償は生死を問わず全く行われず、賃金や軍事郵便貯金なども未払いのままで、どこで死んだか分からない人も少なくないとされる。
7月2日 与党3党の幹事長が、中韓両国が懸念を示す小泉純一郎首相の靖国神社参拝について、8日からの両国訪問の際に首相親書を携行し、両国の理解を求める方向で調整に入った。
7月3日 政府首脳が、小泉首相が表明している8月15日の終戦記念日の靖国神社参拝について、〈1〉警備上の理由から公用車を利用する〈2〉記帳の肩書は「内閣総理大臣」になる――との見通しを明らかにした。公式参拝か私的参拝かについては、「首相は(参拝時に)そうした問いには答えないだろう」と述べ、明確にしないとの考えを示した。また、玉ぐし料などを公費から支出したり、「二礼二拍手一礼」の神道形式で参拝することについては、「首相はこれまで(就任前に)そうしたやり方で参拝してはいない」と述べ、憲法の「政教分離」規定を守る考えを示した。さらに、首相が靖国神社参拝に合わせて、千鳥ヶ淵戦没者墓苑も訪れるとの見通しを示した。政府は、小泉純一郎首相が終戦記念日の8月15日に靖国神社に参拝する際に、首相の平和、反戦への思いなどを談話として発表する方向で検討に入った。政府高官「公式かどうかという話でなく、心の問題をはっきり言う方がいい」。創価学会の池田大作名誉会長(73)は3日までに、読売新聞のインタビューで、首相の靖国神社参拝問題について、「首相が一宗教法人のみを重要視して、参拝することは問題だ。(戦争で)侵略された国が反発するのは当然だ」と述べ、不快感を表明した。
7月4日 日中友好協会など中国との交流を進めている五つの団体の代表が総理大臣官邸で福田官房長官に会い、近隣諸国の国民感情などに配慮し、小泉総理大臣と閣僚は靖国神社への公式参拝を行わないように申し入た。「政府は昭和六十一年に近隣諸国の国民感情にも適切に配慮しなければならないとして、総理大臣の公式参拝を差し控えるとした当時の後藤田官房長官の談話を出している。政府は、こうした姿勢を引き続き堅持すべきだ」これに対して、福田官房長官は「趣旨は承った。まだ、時間があるのでよく検討したい」と述べた。
☆千鳥ケ淵戦没者墓苑 先の大戦で海外で亡くなった兵士らの遺骨のうち、氏名不詳か、遺族不明で引き渡すことができなかった遺骨が納められた「無名戦士の墓」。昭和28年、吉田内閣が「国の責任で維持、管理する」との方針を閣議決定し、34年に竣工、34万6000柱の遺骨が納められている。現在、建物と土地は環境省、地下の納骨堂は厚生労働省の管轄となっている。(産経 2001.06.29)
■靖国神社 明治政府が1869年、国営の神社として創建。陸・海軍省直轄で、国家神道の象徴であり、軍国主義を精神的に支える役割を果たし、戦後は独立の宗教法人となった。幕末の戊辰戦争から太平洋戦争に至る200万柱を超える戦没者が祭神とされ、東京裁判で死刑となったA級戦犯14人が、78年合祀された。これが近隣諸国の批判の背景の一つになっていることから、A級戦犯を靖国神社から切り離す「分祀(ぶんし)」論も政治課題に上ってきた。最近では野中広務官房長官(当時)が99年8月、「個人的見解」として(1)A級戦犯の分祀(2)靖国神社の特殊法人化――を提起したが、その後論議は進んでいない。(毎日5月21日)
● 「新しい歴史教科書」に見られる初歩的な誤り 2001/05/26
「新しい歴史教科書」に見られる初歩的な誤り

以下は、各分野の専門的研究者から寄せられたコメントのうちの一部を書き出したものです。一面的な評価、生徒の理解の妨げとなる不親切な記述、前後矛盾する記述、稚拙な表現などは、このほかに多々ありますが省略します。
   〔ページ〕  〔小見出し〕  〔「(本文記述)」〕  〔コメント:〕

33ページ 邪馬台国と卑弥呼
「魏志倭人伝を書いた歴史家は、日本列島にきていない。それより約40年前に日本を訪れた使者が聞いたことを、歴史家が記していると想像されているにすぎない。」
コメント:史書の編者が、史書に書かれているすべての事柄を自ら経験しているのではないことは常識であり、それを理由に魏志倭人伝の価値を貶めるのは正しくない。なお、この記述の文末の「想像されているにすぎない」は日本語として成り立たない。

38ページ 朝貢
「大和朝廷の軍勢は、百済・新羅を助けて、高句麗とはげしく戦った。」
コメント:新羅と高句麗が連合して倭と戦ったこともある。すなわち、広開土王碑には、倭が新羅・百済を破ったこと(391年)、倭が新羅に侵入し、新羅が高句麗に救援を求めたこと(399年)なども記されているのである。4世紀末から5世紀初の倭が、百済・新羅を一貫して援助し、高句麗と対立していたように叙述するのは誤り。あるいは高句麗を北朝鮮に類比したうえで、高句麗のみが日本に敵対していた、という図式を無理に描こうとしたことによる記述かと推察される。


「高句麗は、百済の首都漢城(現在のソウル)を攻め落とし、半島南部を席捲した。しかし、百済と任那を地盤とした日本軍の抵抗にあって、征服は果たせなかった。」
コメント:高句麗との戦いの中心が日本であるかのような記述はおかしい。百済と任那に恒常的な日本の政治的基地が築かれていたかのような表現も誤り。4〜5世紀の段階で「日本軍」という用語を使うのも不適当。

39ページ コラム 中華秩序と朝貢
「日本は、古代においては朝貢などを行った時期はあるが、朝鮮やベトナムなどと比較し、独立した立場を貫いた。」
コメント:日本は室町期にも朝貢を行っているので、古代に限定するのは誤り。

40ページ 大和朝廷の自信
「6世紀になると……あれほど武威をほこっていた高句麗が衰退し始め、」
コメント:6世紀中葉、高句麗では安蔵王の殺害(531年)や安原王から陽原王への王位継承(545年)などの内紛があったが、598年以降の隋の侵攻を撃退しており、高句麗が衰退していたと簡単にいうことはできない。1


「任那は、新羅からは攻略され、百済からは領土の一部の割譲を求められた。………562年、任那はほろんで新羅領となった。」
コメント:任那という一つの国家があったかのような記述は、否定された学説に基づいた重大な誤り。かつて「任那」と考えられていた地域が群小の国家からなる地域であったことは、すでに歴史学界、考古学界の共通認識となっている。

44〜5ページ 聖徳太子の外交
「太子は、607年、小野妹子を代表とする遣隋使を派遣した。しかし、日本が大陸の文明に吸収されて、固有の文化を失うような道はさけたかった。」
コメント:聖徳太子が日本の文化のあり方についてどのように考えていたかを知りうる史料は存在しない。執筆者の希望を述べたにすぎない。

49ページ 宮中クーデター
「豪族の頭目である蘇我氏を宮中から排除する計画を、まず最初に心に秘めていたのは、中大兄皇子と中臣鎌足(のちの藤原鎌足)であった。」
コメント:文中にある中臣鎌足をはじめ、蘇我氏以外にも豪族はおり、彼らの頭目に蘇我氏がなったことはない。蘇我氏は大和朝廷で「大臣」という職につくことによって、政治に参画していたのである。

52ページ 亡命百済人
「(天智)天皇は……近江令を編んだ。」
コメント:現在の学界では、近江令というまとまった編目をもった法典は存在しなかったという学説が有力である。

54ページ 大宝律令と年号
「わが国では、日本という国号が定まったこの時期以来、年号が連続して使用されるようになった。一方、新羅は唐の年号の使用を強制され、これを受け入れた。」
コメント:新羅は外交政策として、唐との外交文書に唐の年号を使用すること受け入れたのである。

55ページ 同
「718(養老2)年には、藤原不比等によって、……養老律令が編まれた。」
コメント:養老令の編纂時期については養老2年説、養老年中説あるので、記述のように断定するのは不適切。

56ページ 図版 東大寺の大仏の説明
「いくたびも戦乱による破壊にあったが、そのたびに修復され、今に伝えられた。現在の上半身は、江戸時代の補修」
コメント:江戸時代に補修されたのは頭部のみ。この記述では胴体も江戸時代のもののように誤解される。また「いくたびも戦乱による破壊にあった」とあるが、戦乱による破壊は2度だけである。大仏の文化財としての価値を貶める表現である。

57ページ 律令政治の展開
「それまで国家の統治がおよばなかった未墾地も規制するために、743年、墾田永年私財法を出して、」
コメント:墾田永年私財法は未墾地規制のためではないので記述は誤り。

59ページ 訓読みの登場
「語順をひっくり返して日本語読みにする方式を編み出した。いわゆる訓読みという読み方の発明だった。」
コメント:現代の日常語では、「訓読み」(クンヨミ)とは、通常、漢字に和語を当てる読み方のことをさし、漢文の「語順をひっくり返して日本語読みにする方法」のことは「訓読」(クンドク)といって区別している。常識を混乱させる不適切な表現。


「漢文を読むとき、彼らは……ヲコト点と呼ばれる記号を打って、助詞を補って読んだ。やがてそこから片仮名が誕生した。」
コメント:ヲコト点や片仮名は平安文化を述べる中で扱われるべきであって、8世紀の文化を述べた箇所で扱うのは不適切である。

65ページ 奈良時代の歴史書と文学
「『万葉集』が、朝廷の命によって編集された」
コメント:『万葉集』のうち1、2巻が勅撰であったという説はあるが、全体の編集が朝廷の命によってなされたとするような記述は誤り。

68ページ 律令制の拡大
「桓武天皇は強い指導力を示して、………班田収授のあり方を現実に合うように改め、」
 コメント:班田収授の現実のあり方がどのようになっていたかの記述がなく、その結果どのように改めたかも不明である。この文章を読んだ生徒は、桓武天皇が何を行ったのかまったく理解できないであろう。また、ここの表題「律令制の拡大」の「拡大」とは、記述を読む限りでは、律令国家の領域が拡大したことを示しているようであるが、平安初期の律令制の再編や政治改革の現実を踏まえてこの時期の国家のあり方をとらえると、「律令制の拡大」という表題は不適切である。

70ページ 地方政治の転換
「10世紀に入り、人口が増え、新田が不足したために、班田収授が行き詰まると、朝廷は地方政治の方針を大きく転換した。」
コメント:問題の多い記述である。第一点。班田収授の崩壊の原因を、人口増加による田地の不足に求めているが、田地が不足したから崩壊したという歴史理解は何ら根拠がないものである。第二点。「朝廷は地方政治の方針を大きく転換した」とあるのが、10世紀はじめの延喜国制改革を指しているのか、10世紀半ばの地方政治の変化のことを指しているのか、不明な文章である。もし前者であれば、班田収授の行き詰まりも10世紀に入ってから生じた事態であるように読めるが、通説では9世紀のこととされている。また後者であれば、上記記述は、10世紀半ばの地方政治の変化の原因を、班田収授の行き詰まりに求めていることになるが、そうした歴史理解は無理である。いずれにしても、この時代の地方政治の変化についての研究状況を知らないまま執筆したものと思われる。


「律令制度のもとでの良民と賤民の区別は、しだいにゆるやかとなり、10世紀のはじめに賤民制度は廃止された。」
コメント:10世紀はじめにいわゆる「延喜奴婢解放令」が存在したという学説はあるが、「賤民制度」が廃止されたという学説は存在しない。奴婢と賤民を同じものと考えてしまっている点は日本前近代の身分制度を考えるうえで重大な誤り。

75ページ 仮名文字の普及と文学の発展
「宮廷の女官であった紫式部」
コメント:「女官」とは後宮に仕える女性の役人のことである。紫式部は女官ではなく中宮彰子個人の女房であるから、記述は国文学の常識に反する誤り。

76ページ 浄土教と仏教文化
「また同じころ、日本の神は仏が仮に姿を変えてあらわれたものとする、本地垂迹説が唱えられ、仏と神をともにうやまう神仏習合がさかんになった。」
 コメント:「また同じころ」がどの時期を指すのか限定されていないので不明なところもあるが、阿弥陀信仰の広がりを述べた文の次に記されているから、11世紀(もしくは10世紀も含めてか)を想定しているのであろう。しかしそれ以前にも本地垂迹説はすでにみられるので、「また同じころ」ということはできない。曖昧な表現自体も教科書の記述として問題がある。

84ページ 図版 鎌倉幕府の仕組み
コメント:評定衆の説明として「執権の補佐」というのはおかしい。建前としては、評定衆は執権と同格で、評定衆会議の主催者が執権である。

87ページ 元寇
「朝廷を幕府は一致して、これをはねつけた。」
コメント:モンゴルへの対応の主導権は明らかに幕府が握った。朝廷と幕府が対等な形で対応したかのような表現をするのは誤り。

94ページ 鎌倉幕府の滅亡
「やがて後醍醐天皇が隠岐から脱出すると、それまで討幕勢力が不利だった形勢は一変する。幕府軍から御家人の脱落が続き、足利尊氏が幕府にそむいて、京都の六波羅探題をほろぼした。」
コメント:後醍醐天皇の隠岐脱出と戦況の変化に直接の因果関係はない。元弘3年閏2月に後醍醐が船上山に迎えられたのちもしばらくは倒幕勢力に不利な状況が続いた。状況が変化するのは足利高氏の幕府からの離反が明らかになった同年4月末のことである。「尊氏」も建武以前は「高氏」と表記するのが正確である。

95ページ 建武の新政
「後醍醐天皇は京都に戻ると、公家と武家を統一した天皇親政を目標として、院政や摂関、幕府をおさえ、新しい政治を始めた。……これを建武の新政という。武家政権がほろび、公家政権が復活したという見方からは、建武の中興とよぶ。」
コメント:「武家政権がほろび、公家政権が復活した」のは事実であって、見方による相違はない。「建武の中興」とは、日本では天皇中心の政治が行われるのが正しい姿である、という見方からの呼称であるから、記述は誤り。また、建武の新政期は院政と摂関は廃止され、幕府も消滅したのであるから、「おさえ」の表現は不適当。

104ページ 応仁の乱
「8代将軍義政のとき、将軍と管領の跡継ぎをめぐり、細川勝元と山名持豊(宗全)が対立し、」
コメント:管領に就任しうる大名家の家督の地位をめぐる争いは起きているが、「管領の跡継ぎ」をめぐる争いは起きていないから、記述は誤り。


「民衆が団結して守護大名を倒し、自治を行うこともおこり、山城国(京都府)南部では地侍を中心とした自治が8年間続き(山城国一揆)、」
コメント:山城国一揆には地侍も参加してはいるが、主導したのは国人層の武士たちであるから、「地侍を中心とした自治」の記述は誤り。国人と地侍は階層的に異なっている。

106ページ 戦国の社会
「おもな戦国大名には、相模(神奈川県)の北条氏、越前(福井県)の朝倉氏、駿河(静岡県)と三河(愛知県東部)を支配した今川氏、越後(新潟県)の上杉氏、甲斐(山梨県)の武田氏、安芸(広島県)をはじめ中国地方一帯から九州、四国にまで勢力をおよぼした毛利氏などがある。」
コメント:支配領域の挙げ方が恣意的。特に今川氏の支配領域として、遠江をはずして三河を挙げるのは不適切。毛利氏の支配領域を詳述する一方で、北条氏の支配領域として相模しか挙げないのもアンバランス。

106ページ 東アジアとのつながり
「足利義満の死後、明との勘合貿易が中断されると、再び倭寇の活動がさかんになったが、構成員のほとんどは中国人だった。それも16世紀後半には衰えた。」
コメント:義満死後の勘合貿易中断期(15世紀はじめ)の倭寇と、16世紀になってから始まる後期倭寇を混同した重大な誤り。構成員の多くが中国人だったのは後期倭寇であるから、100年ほどの錯誤を犯している。

119ページ 秀吉の全国統一
「この検地によって、それまで公家や寺社など荘園領主がもっていた田畑へのさまざまな権利は否定され、農民は土地への所有権を法的に認められた。
コメント:太閤検地の要点を理解していない記述である。荘園領主の土地に対する所有権は、太閤検地を待つまでもなく16世紀にはいるとほとんど無実化しており、秀吉にとって、荘園領主の権利を否定することが課題だったわけではない。農村社会のなかで重層的に存在していた複雑な権利関係を整理したところに、太閤検地の目的と意義がある。なお「土地への所有権」は日本語として誤っている。

124ページ 関ヶ原の戦いと江戸幕府
「こうして、戦国大名は二つの勢力に分かれて、対立を深めていった。1600(慶長5)年、双方の軍勢は東西両軍に分かれ、関ヶ原(岐阜県)で激突し、」
コメント:すでに戦国時代は終結しているので、この段階の大名を戦国大名と呼ぶのは初歩的な誤り。関ヶ原の戦いの主要な参加者である石田三成、小西行長、加藤清正、福島正則らは、いずれも戦国大名であった経歴もない。

134ページ 村と百姓
「(武士の)生活を維持するため、村の生産物を流通させ加工する必要があった。そのため、職人や商人も城下に集まって町人となった。町人は、冥加金や運上金とよばれる営業税を納め、有力者が町役人となり自治に当たった。」
コメント:兵農分離との関係で、武士が都市集住となり、それに従って商工業者が都市に自然発生的に集まってくる、という説明になっているが、大名はむしろ商工業者らを積極的(政策的に)に集住させた(地子免など)。また冥加・運上は、町人とは直接的な関係はないと理解するのが現在の通説。

136ページ 諸産業の発達
「長崎の貿易では、銀や銅が日本の主要な輸出品だったので、生野銀山(兵庫県)、足尾銅山(栃木県)、佐渡金山(新潟県)などで鉱山業が発展した。」
コメント:鉱山の挙げ方が不適切な、誤った記述である。長崎御用銅ならば、第一にあげるべきは別子銅山であり、ついで秋田と南部の銅山が重要である。

143ページ 儒教の発展と学問の発達
「水戸藩主の徳川光圀は、学者を集めて『大日本史』の編纂を始め、のちの国学を基礎づけた。」
コメント:国学は誤り。水戸学が正しい。水戸学の学風は儒学・国学・神道を融合したものと言われる。また1657(明暦3)年に編纂に着手したとき、まだ光圀は藩主ではなかった(1661(寛文1)年、家督を相続)。

148ページ コラム 石田梅岩と二宮尊徳
「先祖伝来の家業に勤勉にはげむことが、人間としての安心立命につながるという考えが広がった。江戸初期の国土の大開発は、こうした勤勉さによってなされた。」
コメント:江戸初期の大開発はおもには幕府や藩・武士によるものであり、町人などの新田開発はむしろ中後期が中心であるから、記述は誤り。

150ページ 幕府政治の転換
「綱吉の政治を、文治政治という。各藩でも藩校を設け、儒学による武士の教育に努めるようになった。」
コメント:近世前期の藩校は、好学藩主の個人的意思によって先進的に創設されたものの、規模は狭小簡単、藩士一般には普及しないまま、多くは藩主の代替りによって廃絶した(岩波日本史辞典)。したがって元禄期の文治政治の例として、こうした記述をするのは不適当。寛政期以降、儒学によるカリキュラム構成をもつ藩校が叢生してくるというのが通説。
 
152ページ 図版 公事方御定書
コメント:高札風の絵の中に書かれているが、公事方御定書は秘書であり、三奉行など以外に見せることは許さないことになっていた。高札にして布告するなどありえない。生徒の正確な理解の妨げとなる。
 
173ページ アヘン戦争と英国の中国分割
「イギリス軍艦は、「自由貿易」を口実に清国沿岸に発砲し、」
コメント:「自由貿易」は目的であって、口実ではないので、記述は誤り。発砲の直接のきっかけは、広東へ赴こうとしたイギリス商船に対し、対中国圧力のため、これを阻止しようとしたイギリス軍艦が発砲したことによる。これによってイギリス商船を保護しようとした中国艦隊と交戦開始した(1839年11月)。(坂野正高『近代中国政治外交史』参照)


「清は、屈辱的な南京条約に調印した。イギリスは香港島を占領し、中国大陸へ進出する足がかりを得た。」
コメント:南京条約以前にイギリスは香港を占領しており、条約によって正式に割譲された。(坂野正高『近代中国政治外交史』)

176ページ コラム ペリーが渡した白旗「武力で脅して要求をのませるこういうやり方は、「砲艦外交」とよばれ、」
コメント:砲艦(ガンボート)とは、比較的小型で喫水も浅く、大洋航海よりは沿岸巡航に向く艦船のこと。砲艦外交とは、そうしたいわば相対的に安上がりの海軍力を背景に、軍事力を行使せず、交渉を成り立たせる外交のことをいう。ペリー艦隊の4隻の「巨大な黒塗りの軍艦」はいずれも砲艦ではない。

172ページ アヘン戦争と英国の中国分割
「アヘンは、衰退期に入った清に、無抵抗に受け入れられた。」
コメント:「無抵抗に受け入れられた」と強調するが、173ページでは、皇帝や大臣のアヘンの輸入に対抗する動きを書くのだから、「無抵抗」というのは、誤解を招く表現である。

178ページ 幕府の決断と開国
「日米和親条約を結び、……下田にアメリカ領事を置くことを取り決めた。同様の条約は、イギリス、ロシア、オランダとの間でも結ばれた。」
コメント:イギリスと結んだのはスターリング協約であり、ロシア・オランダのように条約として結んだものではない。スターリング協約は、クリミア戦争遂行のため日本諸港を利用できるかどうかという問題解決のためのものであって、領事駐在規定はないから、イギリスに関する記述は誤り。

185ページ 近代日本史の前提
「中国の服属国であった朝鮮も同様だった。」
コメント:誤解を与える表現である。「東アジアにおいて成立していた伝統的世界は、基本的には朝貢と冊封によって結びつけられた秩序」であるが、「必ずしも支配−被支配の権力的関係の貫徹するものではなかったのである」(茂木敏夫「中華帝国の『近代』的再編と日本」)という理解を欠いている。

200ページ 清・朝鮮との国交樹立
「一方、これに先立って、日本軍艦が朝鮮の江華島で測量をするなど示威行動をとったため、朝鮮の軍隊と交戦した事件…をきっかけに、日本は再び朝鮮に国交の樹立を強く迫った。」
コメント:これは旧朝間の交戦の事情が説明不足で理解し難い表現である」との検定官の意見をつけられ、修正した文章であるが、日本軍艦の行動の前提として、日本国内に「征韓論」が台頭していたことを述べないので、基本的な理解がえられない。日本の軍艦は朝鮮の西海岸を測量しながら北上したのだが、江華島では測量をおこなわず、カッターを入れたところ砲撃されたとの理由で、砲撃を加えたものである。江華島で測量をしたというのは誤りである。

200ページ 北方の領土確定
「アメリカやイギリスは、もし日本がロシアと戦争すれば、樺太はおろか北海道までうばわれるだろうと明治政府に警告してきた。さらに、朝鮮や沖縄の問題が新たに身近に迫ってきたので、新政府はロシアとの衝突をさけるために、1875(明治8)年、ロシアと樺太・千島交換条約を結んだ。」
コメント:イギリス公使パークスはそのよう警告をおこなったが、アメリカ側がそのような警告を行ったということは知られていない。日本はアメリカにロシアとの仲介を依頼しているので、アメリカは中立的であったと考えられる。また、この条約が結ばれた背景に、日本としては北海道を開拓するだけでも大事業であって、樺太にまで精力をさけないという事情があったことは、多くの人によって指摘されている。

218ページ 日清戦争と日本の勝因
「わずかな兵力しかもたない朝鮮は、清に鎮圧のための出兵を求めたが、日本も甲申事変後の清との申し合わせに従い、軍隊を派遣し、日清両国軍が衝突して日清戦争が始まった。」
コメント:日清間の開戦の事情が説明不足で、理解し難い表現である。日本は清の出兵に対抗して、公使館と居留民の保護を口実に出兵した。農民戦争が沈静化して、出兵の理由がなくなっても、日本は撤兵を拒否し、朝鮮の内政改革を要求し、1894年7月23日朝鮮の王宮を占領し、朝鮮兵を武装解除した。その上で7月25日に豊島沖で清軍を攻撃し、8月1日、清に宣戦を布告したのである。執筆者は、日本は戦争をする気はなかったが、成り行きで戦争になってしまったのだという印象を与えようとしているように見える。不適切な表現である。

221ページ コラム 日露条約の問題点(小村意見書)
「Aシベリアは、将来は別として、現状では経済的利益は小さい。」
コメント:原文は「満州及西比利亜」となっている。「満州」を削除するのは恣意的である。

221ページ コラム 日英条約の利点(小村意見書)
「B英国と結ぶと清国はますます日本を信頼するようになり、平和の利益を増進する。」
コメント:原文では、見だしは「清国ニ於ケル我邦ノ勢力ヲ増進スルコト」であり、内容も日英協約を結べば、清国は「一層深ク我邦ニ信頼スヘク、随ツテ同国ニ於ケル我利益ノ拡張、其他諸般ノ計画ヲ一層容易ニ行ハルルニ至ラン」である。これを「平和の利益を増進する」と要約するのは、史料の完全なる改竄である。

223ページ 日露開戦と戦いのゆくえ
(日露戦争における日本の勝利は)「黄色人種が将来、白色人種をおびやかすことを警戒する黄禍論が欧米に広がるきっかけにもなった。」
コメント:誤った記述である。黄禍論は日清戦争後にドイツ皇帝ウィルヘルム二世が唱えたものだが、日露戦争後には、当然ながら日本警戒論が代わって出現したのである。もとより人種的偏見が日本警戒論にも混入しているが、重点は明らかに変わっている。

241ページ 中華民国の成立
「南京に革命派の代表が集まって孫文を臨時大総統に選び、」
コメント:孫文を臨時大総統に選んだのは、いわゆる立憲派などを含む各地の代表であって、「革命派の代表」だけが集まって選んだわけではない。


「中国は統一性を失い、武力をもつ地方政権である大小の軍閥によって、各地がばらばらに支配されるようになった」
コメント:北京政府の存在を軽視しすぎており、正確さを欠く。

244ページ 日本の参戦
「ドイツの植民地であった山東半島の青島」
コメント:青島はドイツの租借地であって「植民地」ではないから、記述は誤り。植民地と租借地は異なる概念である。


「日本は、日英同盟の約束に基づいて参戦、」
コメント:イギリスが日本の参戦を望まなかった事実に触れず「日英同盟の約束に基づいて」というのは正確さを欠く。

249ページ アジアの独立運動
「パリ講和会議で日本が中国の旧ドイツ権益を引きつぐことが決定すると、」
コメント:パリ講和会議の決定は「日本が旧ドイツの権益を引きつぐこと」ではなく、山東半島をめぐる戦後処理について、同会議では取扱わず日中両国間の交渉に委ねる、という内容であったから、記述は誤り。

265ページ コラム 南京でおこった外国人襲撃事件
コメント:1927年の南京事件について「南京を占領した国民党軍の兵士が…暴行・掠奪をはたらき…」とする解釈は、当時の風説の一つに過ぎず、史実として認められたものではない。

266〜7ページ 仕組まれた柳条湖事件
「満州事変は、日本政府の方針とは無関係に、日本陸軍の出先の部隊である関東軍がおこした戦争だった。政府と軍部中央は不拡大方針と取ったが、関東軍はこれを無視して戦線を拡大し、全満州を占領した。」
コメント:関東軍の東北侵略を、日本政府と軍部中央が次々に追認した事実に触れず、日本政府の方針と「無関係」であるとか、政府と軍部中央は「不拡大方針を取った」というのは正確さを欠く。

270ページ 盧溝橋における日中衝突 
「北京郊外の盧溝橋で、演習していた日本軍に向けて何者かが発砲する事件がおこった。翌朝には、中国の国民党軍との間で戦闘状態になった」
コメント:「日本軍に向けて何者かが発砲」したとしているのは当時の日本軍側の発表であって、史実とは確認されていない。また日本と戦闘状態になったのは「国民党軍」ではなく、宋哲元軍なので、記述は誤り。

287ページ ヤルタからポツダムまで
「7月、ベルリン郊外のポツダムに英米ソの3首脳が集まり、グルーの奔走で、日本に対する戦争終結の条件を示したポツダム宣言を、米英中3国の名で発表することを決めた。」
コメント:.「グルーの奔走で」は誤り。グルーはポツダム宣言の作成に直接関係していない。ポツダム宣言の原案はスチムソン陸軍長官が作成したものである。またグルーはポツダム会議に出席していない。
● 公正な教科書採択を求める大田区民の会リポート 05/26
公正な教科書採択を求める大田区民の会リポート
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教育委員による教科書採択の実態

ケース・スタディ=東京都大田区の場合
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 今、教科書採択権は教育委員会にあるという主張に基づき、調査委員会や選定委員会など教師が参加する機関で絞り込みを行わず、教育委員が直接教科書を採択するしくみが全国的につくられている。東京都23区では、これまで学校意見に基づいた教科書採択がおこなわれてきたが、「新しい歴史教科書をつくる会」などの運動によって、教師の意見を排除する採択制度が次々に定められつつある。私たちの住む東京都大田区は、「教育を見直す区民の会」の運動により、2000年3月、23区のなかでもいち早く「学校票」と呼ばれる教師意見を軸とした教科書採択制度が撤廃され、教育委員による採択が制度化された。本リポートは、このような制度が、どんな事態を生み出すのかを、2000年度教科書採択(2001年度使用)の事例に即して明らかにするものである。本文中引用する資料は、公文書開示請求によって入手した「教育委員会議事録」、「選定委員会議事録」と同委員会「答申書」、「学校意見」の一覧である。
▼▼▼▼▼▼▼▼大田区の採択制度▼▼▼▼▼▼▼▼
 大田区では、すでに1999年度に「教育を見直す大田区民の会」なる団体等が、絞り込み禁止と学習指導要領に基づく教科書評価(事実上の再検定要求)を求める議会陳情を2本提出しておりどちらも可決されていた。教育委員会はこれを受けて、多くの区より1年早く新たな教科書採択要綱を策定し、2000年5月からこの要綱に基づいて採択作業を開始した。
 新たな教科書採択のしくみは、
教科用図書調査委員会(調査委員会):教師各教科3名

選定委員会:校長6名、区民代表6名、学識経験者1名

教育委員会:5名
という3段階のものであり、区民代表はPTA会長である。
▼▼▼▼▼▼▼選定委員会までの作業▼▼▼▼▼▼▼
 5月以降、各教科3名づつの教師によって構成される調査委員会では、教科書の内容はもとより、カラー頁の数や索引の数にいたるまで、各教科書を比較検討した「膨大な」(選定委員会議事録)資料が作成された。この調査資料作成と並行して、5月15日、7月10日、7月17日の3度、選定委員会が開催されている。
 選定委員会の職務は、採択要綱に「採択に必要な事項の選定に関し諮問」をうけ「答申書」を作成することであった。答申書は、(1)各教科ごとに2種以上の教科書について採択資料を作成し、順位は付さない。(2)各教科書の特色等に留意して具体的に記述し、単に教科書相互の比較は避ける。(3)学校および区民意見の聴取と整理。という「作成要領」にしたがうと定められている。
 (1)の「2種以上の教科書」について資料を作成するという規定は、2001年2月、私たちが区民の会を結成し教育委員会を訪問した際の説明によれば、“教科書発行社が最低で2社であるので、それ以上の”という意味であって絞り込み規定ではないということであり、議会においても「絞り込み規定ではない」という発言が確認されている(2000年10月)。しかし、素直に読めば2種以上に絞り込むと読むこともできる玉虫色の規定であったといえよう。
 このような要綱に基づき、5月15日第1回選定委員会会議では、委員長・副委員長選出や要綱の確認などが行われ、7月10日、完成した調査資料と答申書案をもとに第2回選定委員会が開催された。ここでの審議の特徴は、以下の2点である。
 (1)12通だされた区民意見について……
 区民意見12通はすべて「つくる会」側のものであったが、これについては、「一つの意見として受けとめる。しかし、検定自体にかかわる内容は、検定において考慮されることである」(議事録)として、「つくる会」の意見内容については触れないという良識的な判断が行われている。
 (2)学校意見および調査委員の意向について……
 すべての学校からの意見聴取は行われておらず、どのような経緯で出された意見なのか不明であるが、昨年度、大田区27中学校のうち、1教科についてでも意見を出した学校は10校であった。この意見が答申書案にどの程度加味されたのかは不明であるが、作成された答申書をみると、ある程度意向が反映されているのではないかと考えられる。一方、調査委員資料については「どの教科も調査委員の調査結果を尊重したいとの意見が出され、委員全員で確認する。」(議事録)として、選定委員全員一致で調査委員(教師)の意向尊重が確認された。
 7月17日第3回選定委員会では、各教科について(9教科を2時間程度で)審議し、答申書の作成が行われた。大田区では、この後、音楽、理科第2分野、社会、英語の4科目については、選定委員会までの方向性が覆され教育委員による一方的な決定が行われることになるのであるが、少なくとも選定委員会までは、この4教科についても特に強い主張が出された形跡は窺えず、「理科に限らず他の教科に関しても、実際に指導に当たっている調査委員の先生方の情報であるので重視すべき」(議事録)との意見もだされていた。選定委員会の議論の基調は、調査委員の調査結果を尊重する方向にあったといえよう。
 ただし、答申書をみると、全種類の教科書について4つも観点(A内容の選択、B構成・分量、C表現、D使用上の便宜)から、4〜6行で特徴が記され、調査委員会や選定委員会での議論の方向性や意向は、「まとまっている」「よくまとまっている」といったわずかな表現の違いから読みとるしかない。この点で、絞り込みを行わないという新たな採択制度の特徴はすでにはっきりと表れていた。
▼▼▼▼教育委員会で何が起きたのか!▼▼▼▼▼
 教育委員会5人の審議は、答申書をふまえ、7月21日、26日、8月1日の3度行われた。ここで、前述の音楽、理科第2分野、社会、英語の4科目について、教育委員のきわめて恣意的かつ一方的な議論により選定委員会までの方向が覆されることとなる。以下、この4科目を中心に、教育委員審議の特徴をみてみよう(以下、発言引用は議事録から)。
■ 特徴1……教科書を読んでいない、あるいは読んでも理解できない委員が教科書を採択していること。教育委員が採択対象となる教科書を熟読していないのは、次の発言をみても明瞭である。
◇7/26日審議・秘密会の冒頭 委員発言……「最初に本日の審議の方法ですが、科目が15ありますし、時間も無制限というわけにはまいりません。そこで、順次1科目ずつ全員で調査・研究を細くするための時間をとり、認識を深めていただきたいと思います、その後で気づいた点などがありましたらお出しいただきたいと思いますので、今教科書を配布します。では、今からしばらく眼を通していただきまして国語について検討をしていただきたいと思いますので、よろしくお願いします。……さて、大分みていただいたとおもいますけれども、各教科について何かご質問などございますでしょうか」教科書採択をする人間が、あらかじめきちんと教科書を読んでくることは最低の常識である。しかし、短い審議時間のなかにさらにこのような読書タイムを設けていることから、教育委員が教科書を十分に読んでいないことは明瞭である。さらに、たとえ読んだとしても、専門教科について判断ができないという事情を物語る発言も枚挙に暇がない。
◇7/26地理2種についての委員発言…「あまり差異がどこにあるかと、そんなにはっきり、少し見たところではわからないですよね。だから現行でつかわれているのがやはり。」
◇7/26技術家庭2種についての委員発言…「記述が現行のものは非常に簡潔な感じです。」「やはりこうやって見ると、開隆堂の方が何となしに専門的な。」
◇7/21理科2分野について……「理科の分野ではそういう大気汚染その他のことについての公害問題というのは、どういうふうに扱われているか、それについての記述というのは教科書の中にどういうふうに出ているか、お聞きしたい。」少し見ても違いが「わからない」からとか「何となし」の印象で教科書を決められてはたまらない。公害問題の記述についても、教科書を通読していれば事前に把握できるはずである。さらに問題なのは、英語の採択であった。英語については、第1回のみ教育委員会審議に参加した選定委員長からも、現行のA社に問題があることが、以下のように指摘されている。
◇7/21選定委員長発言……「生徒の興味関心を引き出す内容が選択されているかどうかという問題ですが、これは現在7社の検定教科書がありまして、7社について検討した結果では、3社についてはかなりそういうのは、ほかの4社に比べればすぐれていると考えられます。そういう面をやはり考慮していかなければいけないのかなということで考えております。」前述の10校の学校意見のうち英語に関する意見は6校からだされているが、「内容についてかなり不満がある。」「不自然な表現が出ている。1年次の文法が多すぎる。」「生徒に考えさせるものが少ない。また内容が不自然で無理に英語を使う感じがある。」「1年用では内容が多すぎて定着させる余裕がない。」など、ほとんどの意見が内容や構成についての批判を述べたものであり、特に子どもたちが始めて英語に触れる1年用に問題が多いことが指摘されている。選定委員長発言も、調査委員会やこれらの学校意見をふまえているものと考えられる。これにたいして、教育委員会では、どのような判断を下したのだろうか。
◇ 7/26英語についてB委員発言……「したがって、今こう見てみると、何か現行よりもこちらの方がいいかなというような教科書もあります。ただ先ほどテープの問題等で、非常に金がかかるような話も出ておりましたけれども(下略)」C委員発言「これは確かに工夫がある中でも、結局細かく言えば、こういうところがいいというのはあることはあるのですけれども、そこまでいうと非常に説明が長くなってしまうので、やはり大所高所からということになると、今皆さんがおっしゃったようなことかなと思うのですけれど。確かに工夫がありますが、その工夫の内容についてコメントしようと思えばあることはあるのですけれども、何かそこまで言うことは必要かなという感じもありまして。」7月26日の審議では、「テープ」など金銭の問題と、「大所高所」からという意味不明瞭な見地から、現行の教科書とその他の教科書の差異が曖昧にされ、最終的に、八月1日審議の次の意見により、現行を変えたいという意向は否定され現行教科書採択が決まった。
◇8/1審議 A委員発言「私の方からも、答申書には教科書において多少の差が見られますが、各委員の意見では大きな差はないと受けとりました。ほかの委員方。ご意見はございますでしょうか」(「なし」との声あり)
 以上の審議経過から、教育委員が教科書をきちんと読んでいないこと、よんでも判断できないこと(たとえば英語について、各委員が内容を判断しうるのかどうかはきわめて疑問である)、教材としての適否よりも「テープ」等わずかな金銭支出を優先して選定委員会までの判断を覆していることは明らかである。
■特徴2……委員の発言に「新しい歴史教科書をつくる会」の影響が明瞭に表れてい
ること。3度の審議のうち、議論が具体的に教材の記述内容自体におよんだことのは、英語のカタカナルビについてと、歴史教科書のイラストと写真についてだった。
◇7/21社会歴史についての委員発言……「この裏の5番でカラー写真の方の図版が出たのですが、確かに歴史観に基づいてそれとの延長線上なのですが、例えば船についている日の丸が見えないほど小さいとか、あるいはおおきくなっているとか、それが歴史観というものももちろんそれにくっついているのですが、あるいはイラストの中でいたずらに当時の外国人訪問を卑下したというものですとか、土下座してあやまっているような写真が出ているとかイラストがおかしいとか言う意見もかなりあるようですが、そういう挿絵だとか、あるいはそういうイラストだとかが、そういうものについて多少見られたというか検討の材料にされたのですか。」「土下座している写真」とは、行軍する日本軍にむかって中国人が土下座している写真だと思われるが、これは、「つくる会」が教科書の近現代史記述を自虐史観であると主張するときに採り上げる事例の一つである。「つくる会」の不当な教科書採択運動については、今年2月、3月と、公正取引委員会に対して「申告」が行われており、また全国各地で、教育委員への強い働きかけが行われていることも周知の事実である。教育委員会審議において、英語教科書のカタカナルビの適否を除いて、教材の具体的記述内容に即した議論は全く行われていないのに、この事例についてだけ具体的に指摘するのは、教育委員が、「つくる会」の影響をうけて、この部分についてのみ“教材の具体的な記述内容の検討”を行ったといわざるを得ない。このような特定の運動団体の主張にしたがって発言する委員の姿勢はきわめて不公正だといえよう。
■特徴3……よりよい教科書の選択よりも、予算の節約を優先していること。
 前述の英語の場合、教師の教材に対する判断よりは、予算節約の方が優先されていた。このような発想は、そのほかの発言にもしばしば登場する。
◇7/26書写についての委員発言……「今現在使われているものを使った方が予算的にも無駄はないですよね。」「甲乙つけ難い場合は、特にそうです。」「そうですよね。」 英語のように、中学校に入って始めて学習する教科の教科書がわかりやすいか否かは、その後の英語学習に大きな影響を与える。しかし、教育委員は、もっとも基礎的な教材である教科書の採択にあたって、内容よりも予算節約を優先する態度を示している。このような教育行政は、子どもたちの学習意欲のみならず、よりよい授業をしようという教師の意欲をも削ぐものだといわざるをえない。
■ 特徴4……採択方針が恣意的であること。
以上みてきたように、複数の教科について調査委員会や選定委員会の作業を否定しながらも、判断ができない場合には、「やはり先生方が使いやすいのを使って、生徒に指導していただくのが、わたくしどもには一番それが理想だと思います。」(議事録)と述べ、その姿勢はまったく一貫しない。特に、心身障害児学級の教科用図書(107条本)についてはそのような恣意的な姿勢が顕著である。「実際に指導にあたっている学校で選定したものを、心身障害児学級を設置している学校の校長会で慎重に審議したうえで選定に当たっております。その校長会から報告を受けたものが、今お手元にお配りしてございますよう107条の規定に基づく教科用図書の一覧でございまして、教育長のご指摘のように、現場の先生方が慎重に選んだ結果でございます。」という説明を受けて、ある委員はつぎのように発言している。
◇8/1委員発言……「今ご説明いただきましたように、そういった専門家の立場で、あるいはいろいろ使用した結果としての評価ということだとうかがいましたので、それで結構ではないかと思います」この発言は全体に了承されているが、教育委員は「教科用図書の一覧」を見たのみで、実際に教科書を手にとっておらず、具体的な審議もしていないのである。教育委員は、心身障害児学級の教師は「専門家」であり、他の教師は「専門家」ではないと考えているのだろうか。あるいは、心身障害児学級の教科書などはどうでもよいと考えているのだろうか。いずれにせよ教科書採択方針の恣意性を示す非常識な発言だと言わざるをえない。
▼▼▼▼教育委員による採択の根本的欠陥▼▼▼▼▼
 2000年度の大田区における教科書採択の実態からは、学校意見はもちろんのこと、調査委員が長時間を費やして作成した「膨大」な調査資料と、それに基づいて誠実に答申書を作成した選定委員会の努力を踏みにじる、乱暴で、誠意のない教育委員の姿がうかびあがってくる。このような教育委員の行動が、大田区立学校の教科教育の基礎を揺るがし、子どもたちの学習を阻害する大きな要因となるのは明らかであろう。また、大田区におけるこの実態は、そもそも教育委員が教科書採択をおこなうことが不可能であることを示している。
 「教育を見直す大田区民の会」は、自らの教科書を現場に持ち込むために採択要綱を改変させようとする乱暴な企てを行ってきた。そして、そのような採択制度が、社会科のみならず、大田区の教科教育の基礎をゆるがしているのである。さらに、「教育を見直す大田区民の会」に呼応して、自衛隊入隊相談員でもある自由党議員が、区議会においてまったく同一の時期に、同一の資料を用い、同一内容の主張をしていることも見逃せない。
 大田区におけるこのような混乱が、今年採択制度を変更した多くの地域で繰り返される可能性は高い。私たち区民が、このような採択制度の改悪と議会の動きに気づいたのは、改悪された制度によって教科書採択がおこなわれた後だった。迂闊であったことを反省すると同時に、「つくる会」や教育委員による教育への乱暴な政治的介入に対し、子どもたちにとってもっともふさわしい教科書を採択できる民主的な制度をめざして、大田区での活動をつづけたい。
● 日本の歴史教科書歪曲に対する是正促求決議文  韓国の富川(プチョン)市
 川崎の友好都市である、韓国の富川(プチョン)市が扶桑社の「新しい歴史教科書」への是正要求の決議文を川崎市議会に送ってきました。

日本の歴史教科書歪曲に対する是正促求決議文
 富川市議会は、日本が若い世代に正しい歴史観を育てることにより、平和と民主主義を熱望する国際社会の期待に応じ、韓国をはじめとするアジアの国家と同伴者的な善隣友好関係を発展させていかなければならないという認識のもと、日本で進められている過去の歴史に対する縮小・歪曲の動きと関連して、深刻な憂慮を禁じえない。
 特に、最近2002年度用の中学校歴史教科書の検定過程で日本政府の検定を通過した一部教科書が、今なお自国中心主義的な軍国主義史観に立脚し、過去の歴史の誤りを合理化し美化する内容を含んでいることに対し、80万富川市民と共に遺憾の意をこめて次のとおり決議する。

1. 私たちは、日本政府が1982年に歴史教科書検定基準として発表した「国際理解と国際協調の見地から必要な配慮」という原則および1995年村山総理の「戦後50周年特別談話」と1998年金大中大統領の訪日時に採択された「21世紀に向けた新たな日韓パートナーシップ共同宣言」で明らかにしている歴史認識を土台に、最近検定を通過した歴史教科書の過去の歴史の縮小・歪曲が是正されるよう、日本政府で再検定を通じた措置と今後の歴史歪曲を根本的に防止するための対策を講じることを強力に促求する。
2. 大韓民国政府は日本の過去の歴史の縮小・歪曲の動きに対し、国民的な公憤を勘案し、歴史歪曲が是正されるまで持続的な努力と恒久的な対策を準備することを促求する。
3. 富川市と友好関係を結んでいる日本の川崎市議会が本決議に対する支持と過去の歴史の縮小・歪曲の是正のための実質的な活動に共に参与することを促求する。
2001年4月24日
富川市議会 議員一同
●酒井義一(ハンセン病訴訟を支援する会・存明寺住職)氏より
マスコミでの報道でもご承知の通り、5月11日、熊本地裁においてハンセン病国賠訴訟の歴史的かつ画期的な勝訴判決がでました。国(厚生省)の責任は勿論、国会の責任も認める内容でした。国(厚生労働省・法務省)に控訴しないよう要請をお願いします。控訴は裁判の長期化を意味し、高齢の元患者さんにさらに苦しみを強いることにな
ります。国が真摯に判決を受け入れ、ハンセン病問題に対しての全面解決の道を歩むよう要請して戴きたいのです。
 全国13園に住む入所者は4450人、平均年齢は74歳、毎年約 200人の人が亡くなっています。もう時間がないのです。控訴期限は2週間ですから、5月25日までです。
お願いです。
 5月21日までに、以下の方々に、FAX、電報、メールなどで、控訴をしないようメッセージを寄せてください。この時をのがすと、解決はまた何年も先になってしまいます。
どうぞよろしくお願いします。

 千代田区永田町2-3-1 内閣総理大臣官邸 
 内閣総理大臣 小泉純一郎殿
 FAXは、03−3581−3883

 千代田区霞が関1−2−2 中央合同庁舎5号館 厚生労働省
 厚生労働大臣 坂口力殿
 FAXは、03−3595−2020
 メールは、www-admin@mhlw.go.jp

 千代田霞が関1−1−1
 法務省法務大臣 森山真弓殿
 FAXは、03−5511−7210
 メールは、webmaster@moj.go.jp

*なお存明寺さんのHPは http://www2s.biglobe.ne.jp/~zonmyoji/
●教科書採択から「教師の意向」の排除進む
教科書採択から「教師の意向」の排除進む
http://www.asahi.com/special/newtext/010502a.html
教科書採択手続きの主な変更
教師らによる「絞り込み」廃止など
北海道、栃木、群馬、埼玉、東京、神奈川、新潟(昨年から)、静岡、京都、
岡山、広島、愛媛、高知、長崎、宮崎
各校の希望集約(学校票)を廃止
東京、神奈川、広島
保護者参加や手続き透明化など
北海道、青森、秋田、福島、茨城、栃木、東京、福井、京都、奈良、鳥取、島
根、岡山、広島、山口、香川、愛媛、高知、福岡、熊本、大分、鹿児島
(朝日新聞社の取材に対する都道府県教委などの回答による)


秋田県内の採択地区協議会は市郡のブロックごとに9つに分けられている。
 構成メンバーは10〜21人で、市町村の教育長や教育委員が中心。
 県教委は4月27日付の通知「教科書採択事務の改善について」で、協議会の委員に保護者代表者等を1名以上任命する・採択に関する住民の情報公開請求があれば、各自治体の公開条例に沿って対応する−ことなどを各市町村委に求めている。住民代表の数や選び方は、各協議会に任せる方針。文部省(当時)では90年、各都道府県教委に通知していたが、秋田県では対応が遅れていた。
 教科書の採択は、採択地区協議会が実質的な決定権を持つ。各協議会の下には、現場の教員による調査員がいて、協議会に意見を出すこともできる仕組みになっている。
 採択に当たっては、まず、教員や学識経験者らで構成する県教委の教科用図書選定審議会が、5月末までに各教科書の内容を比較する基準資料を作り、各協議会はこれらの資料を基に教科書を選ぶ。市町村教委は協議会の選定結果どおりに教科書を採択し、7月中旬までに県教委に報告する。
教科書採択に住民参加を求めたことについて
 県教育庁義務教育課「住民参加、情報公開の時代で、、教育関係者だけ教科書を選ぶことに、世間の目は厳しくなっている」「保護者が参加することで、親の視点から見た素直な意見が出るのではないか」
 秋田県教職員組合委員長「保護者参加はいいことだが、もし今年導入するなら、来年の教科書を選ぶのに2ヶ月しか時間がなく、準備不足だ」「『新しい歴史教科書をつくる会』の歴史教科書を巡りアジア諸国との関係に問題が生じている中で、保護者代表を誰にするか、選び方などで混乱が生じるのではないか」
 不登校を考える親の会・あきた代表「保護者間で子どもの教科書に対する関心が高まる」「専門知識のない保護者が一人だけでは、大した意見は述べられない。導入するなら複数にすべきで、しかも特定の政治的意図などをもった人が協議会に入らないように、委員の選考基準や選考過程も明らかにしてほしい」(朝日新聞秋田版05/03)


教育委員会員 様
公正で民主的な教科書採択に関する要請書
 常日頃、地域市町村の教科書問題にご尽力いただき感謝申し上げます。
 さて、2002年使用の小中学校教科書の検定作業が終了し、このほどその結果が公表されました。そのなかで、特に「新しい歴史教科書をつくる会」編集主導、扶桑社刊の中学校「歴史」「公民」教科書について、国内はもとより海外からも多くの反発の声があがっていることは御存じと思います。
 「つくる会」は検定申請前から、そして検定作業中にも、現行教科書を自虐的・反日本的だと一方的に非難し、同会の教科書採択を意図したパンフレットやそのパイロット版と称する図書を大量に教育関係者に送付しています。また、全国の自治体議会に対して、学習指導要領の「我が国の歴史に対する愛情を深め、国民としての自覚を育てる」部分のみをことさら強調し、それに合致しない現行教科書の排除・採択に当たって教職員の意見を排除する等の趣旨の請願や陳情を繰り返しています、
 私たちは、同会教科書の記述内容と併せ、こうした違法とも言える宣伝、営業活動、政治活動に強く疑念を持ちます。
 貴委員会におかれましては、こうした動向に毅然と対処され、2月県議会における秋田県教育長の答弁にもありますように、教科書の調査研究、採択に当たって一層の公式な確保を務められるよう要請し、下記の事項について特段の配慮をお願い申し上げます。

    1.「国家や民族の壁を超えた交流が急速に増している21世紀に、若い世代が国際社会で信頼を得て生きていくための知識や感受性は不可欠です。自画、自賛を越えた歴史の認識と教育が今こそ必要で、それに相応しい教科書を」という視点が大切だと考えますし、国際的孤立の道へ踏み込む「つくる会」教科書を新たに採択するということは、現行教科書をすべて否定することにもなると考えます。
    2.教科書の調査研究は、中学校社会科の歴史・公民だけでも8社分、他分野・他教科も含めると相当数になります。「つくる会」が主張するように、こうした調査研究も含めて採択を教育委員会だけで行うことは、その作業量だけを見ても到底不可能なことと考えます。
    3.教科書の選定・採択に当たって、教育の専門職であり、日常的に教科書を使用し、子どもたちを最もよく知っている教職員の意見を重視するのは当然ではないでしょうか。  このことはユネスコの「教師の地位に関する勧告」や「1997年現場教師の意向を重視する」とした閣議決定にもあることです。
     これらを踏まえ、各学校の教科書の展示会への参加、教科書の調査研究が十分できるように配慮し、各学校の学校票を採択に反映させるべきだと考えますし、保護者、地域住民にもその機会を与えるべきだと考えます。
    4.採択地区においても県と同様、教科書の調査研究報告書及び選定経過、それに関わった委員等の情報公開をすすめ、より「開かれた採択」をめざすべきと考えます。
    5.2月県議会や秋田市議会に「新しい教科書をつくる会」から前記のような陳情がなされましたが、それに引き続きこの後の県内各市長村議会にも同様の陳情・請願がなされるという動きが伝えられています。 教科書の内容の記述の是非・採択等に関することを議会の多数決で決定する等ということはなじまないばかりかあってはならないことと考えます。
     それは教育、教科書への政治の「不当な配慮・介入」であり、憲法・教育基本法の理念に反する重大な誤りであることを念のために申し添えます。
2001年5月2日
賛同団体
*子どもと教科書秋田地域ネット21準備会
*秋田県民間教育研究団体連絡協議会
*秋田県歴史教育者協議会
*秋田県高等学校教職員組合
*秋田県教職員組合
*平和民主主義革新統一をすすめる全国懇話会秋田県事務局
事務局 子どもと教科書秋田地域ネット21準備会


2001/04 平成13年度に行われる教科書検定結果の公開について
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/kyoukasho/index.htm
教科書特約供給所(平成13年2月)
朝鮮日報特集
日本の歴史教科書問題
http://japanese.chosun.com/service/special/textbook.html

 崔相龍(チェ・サンリョン)駐日大使が4月19日日本に帰任、韓国政府の抗議を正式に伝えた。しかし同日、河野洋平外相に手渡された外交通商部長官の親書にも「再修正要請」は盛り込まれていないことが分かった。(朝鮮日報04/19)

 外務省は4月20日までに、「新しい歴史教科書をつくる会」が主導した中学歴史教科書について、検定前後の記述を在韓国日本大使館のホームページに掲載した。「韓国併合」「強制連行・皇民化政策」など4カ所で、河野洋平外相が韓国の韓昇洙(ハン・スン・ス)外交通商相にあてた親書なども韓国語で記述されている。在中国日本大使館も近く、この問題に関する福田康夫官房長官のコメントを日本語と中国語でHPに掲載する。[毎日新聞4月20日]

 韓国新千年民主党は23日、「日本の歴史教科書歪曲是正対策特委」を開き、日本の新内閣が韓国政府の教科書再修正要求を早期に受け入れない場合、日本の大衆文化の追加開放を中断し、被害国家たちと連帯し対応する方案を具体的に検討するよう、政府に促すことにした。朴委員長「日本の国連安保理常任理事国への進出の阻止などは、これからの推移を見守りながら、追加で論議することにした」(朝鮮日報2001/04/23)

▽8月初、スイス・ジュネーブで開かれる国連人権小委員会、▽8月末、南アフリカ共和国での世界人種差別撤廃会議、▽10〜11月、ニューヨークでの国連総会第3委員会(人権、社会分野)、▽年末、ニューヨークでの国連女性地位委員会ーなど

 和田春樹・東京大名誉教授をはじめ、海野福寿・前明治大教授ら日本学者7名が25日、「新しい歴史教科書をつくる会」が編集した中学校歴史教科書について記者会見を開き、「検討の結果、最小限52カ所が事実関係とは大きな差があることを見出した」とし、「この内容をまとめ次第、文部科学省、出版社、執筆者などに送り、再修正を求める方針だ」と明らかにした。誤っていると指摘された51カ所の中には韓国と関連するくだりが約20カ所にも及ぶ。(東亜日報APRIL 26, 2001 )

 「新しい歴史教科書をつくる会」のメンバーらが執筆した中学教科書が文部科学省の検定に合格したことについて、元従軍慰安婦の韓国人女性らが二十六日、同省を訪れて抗議、再検定を求める要望書を提出した。[時事通信社 2001年 4月26日 ]

 民主党は「次の内閣」の会合で、「新しい歴史教科書をつくる会」の中学歴史教科書について、5月1日からの訪韓で金大中大統領らと会談の際に、「歴史認識に反している」との考えを示す方針を決めた。韓国政府が近く要求する見通しの検定やり直しについては、「各国の独自の判断が優先されるべき」と受け入れない方針だ。[毎日新聞 4月26日]

 韓国政府は30日、日本歴史教科書の再修正と関連し、任那日本府説など、およそ40項目の再修正を要求する一方、誤った歴史認識を持っている「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書に対し、集中的に再修正を求めることにした。「日本歴史教科書の韓国関連内容」は、A4用紙およそ100ページ分量で、大きく分けると歴史歪曲に対する単純な指摘、再修正が必要とされる文句や内容の提示などからなっている。政府は、日本が再修正の要求を拒否する場合、「日本文化への追加開放の延期」など段階別の対応方法を講じるほか、対策班を指揮する常設機構を設置し、再修正要求を貫徹することを決めたと伝えられた。(中央日報4月29日)

 太平洋戦争の終戦後、日本の侵略戦争を歪曲する妄言をしたり、史実を歪曲記述した出版物を出すなど、歴史歪曲の行動を見せた日本人の出入国を制限する内容の出入国管理法の改定が議員立法で推進されることになった。(朝鮮日報2001/04/30)

 北海道国際航空(エア・ドゥ)の石子彭培社長は1日、「札幌教科書改善連絡協議会」からの脱退を書面で明らかにした。同協議会は「新しい歴史教科書をつくる会」が編集した教科書を普及させようと発足したもの。しかし、市民団体から「公共的性格の強い会社の社長が加わるのは問題」と抗議の公開質問状を受けていた。[毎日新聞 5月 1日]

 韓国の崔相龍大使は2日、外務省に田中真紀子外相を訪ね、就任祝いのあいさつをした。この中で崔大使は歴史教科書問題に言及し、「韓国内では、最近の(日本の)動きについて1995年の村山富市首相談話と、1998年の日韓共同宣言の精神に反しているという懸念が強まっており、厳しい。金大中大統領もたいへんな思いをしている」と懸念を伝えた。これに対し田中外相は「村山首相談話のラインが基本だ。これを実践することによって考えが本物になる」と述べ、過去の植民地支配へのおわびを表明した「村山談話」を踏襲する考えを伝
えた。[毎日新聞5月2日]

 服部則夫外務報道官は2日の記者会見で、韓国政府が「新しい歴史教科書をつくる会」編集の歴史教科書に対し再修正を要求した場合の対応について「検定制度にのっとって合格した教科書を修正するのは基本的には無理かと思う」と述べ、再修正に応じない姿勢を改めて示した。[毎日新聞 5月 2日]

 韓国の金ハンギル文化観光相は、遠山敦子文部科学相と会談し、教科書問題などで意見交換した。金文化観光相は「日韓共同宣言の精神に反している」などと指摘し、「日本政府の公式見解と異なるので改める必要がある」と再修正を求めた。これに対し、遠山文部科学相は、再修正には応じられないとの政府方針を伝えた。[毎日新聞 5月 2日]

 韓国のキム・ハンギル文化観光相は2日、日本政府との歴史教科書問題の協議などのため来日し、韓国政府が進めてきた日本大衆文化の追加開放は「歴史教科書問題と分離して考えられない」として、韓国側の再修正要求が受け入れられない場合、日本文化の開放を当面、凍結することを示唆した。(朝日05/03)

 韓国訪問中の鳩山由紀夫民主党代表は3日、青瓦台で金大中大統領と会談した。大統領は教科書問題について「今が非常に大事だ。小さな傷が体全体に広がる大きな病に至る可能性がある」と述べ、日韓関係全体を悪化させかねないとの強い懸念を示した。鳩山氏は「新しい歴史教科書をつくる会」主導の教科書は「好ましくない」と伝え、大統領もこれを評価した。金大統領は「心に受けた衝撃は大きい。誤って処理された場合、両国関係に悪い影響を与えることを強く懸念する」と述べ、日本財界人に「円満解決を望む」と述べた先月の発言から大きく踏み込んだ。 さらに「(旧)西独は自発的に謝罪し、補償もした。日本が西独以上にアジアの隣国や世界から信頼を受ける国になることを望む」と強調した。
 一方、大統領は韓国政府に対し「むやみに感情的に反論せず、学問的、実証的に検討し、日本が自発的に修正するよう自制的に行動することだ。日本人すべてが(つくる会の)教科書支持ではない。十分区別すべきだ」と指示したという。
 大統領は鳩山氏の発言を評価したが、日韓両国による歴史教科書の共同研究提案については言及しなかった。(朝日05/03)

 日本の歴史教科書問題で、韓国政府は3日、寺田輝介・駐韓大使を4日に呼び、韓昇洙・外交通商相から伝達する予定だった日本政府への再修正要求を延期することを決めた。3日に韓国政府から修正案の説明を受けた与党の新千年民主党(総裁・金大中大統領)側が「不十分だ」などと補完を要求したためで、7日以降に正式伝達されることになった。(朝日05/04)

 韓国の韓昇洙(ハンスンス)外交通商相は日本の中学校歴史教科書問題について4日、国会議員との懇談会で「政府が準備した30項目余りの修正要求を来週初め、駐韓日本大使を呼んで伝達する」と語った。聯合ニュースが伝えた。
 外交通商相は24、25日に北京で開くアジア欧州会議(ASEM)外相会合の際に行われる日韓外相会談でも、教科書問題を取り上げる考えを表明。田中真紀子外相に「教科書わい曲に対する誠意ある是正措置」を促すと語った。[毎日新聞5月4日]

 山崎拓自民党幹事長は4日、「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書の再修正を韓国政府が求めている問題で「外国から言われて変えることはあり得ない」と、要求に応じる必要はないとの考えを示した。山崎氏は「教科書は一定の基準に照らして検定している。いったん通れば、それ以上の干渉はできない」と述べた。[毎日新聞 5月 4日]

 公明党の冬柴鉄三幹事長は4日、訪韓し、金大中大統領に小泉純一郎首相からの親書を手渡した。首相は親書で、教科書問題への韓国内の厳しい雰囲気を重く受け止めていると表明。政府の歴史認識については、過去の植民地支配などに対する反省と謝罪を表明した1995年の村山富市首相談話の通りであると改めて強調した。[毎日新聞 5月 4日]
●「教科書採択に関する請願」のひな型 (コピーは、文字をドラッグして離し反転部分を右クリック、コピーを選択する。起動してある一太郎やワードの編集から貼り付けを選択する)
2001年  月  日
     市(区・町・村)教育委員会
 委員長            殿

                  住所
                  氏名

教科書採択に関する請願

 2002年度から使用される教科書について、過日、検定結果が公表されました。検定に合格した教科書のなかに、「新しい歴史教科書をつくる会」が企画・執筆した中学校社会科歴史・公民分野の教科書が含まれていることも明らかになっています。この教科書の内容については、周知のように、国内外から大きな批判がおこっています。また、この教科書の採択を目的として、地方議会への請願や、教育委員にたいする教科書著者からの図書贈与などが、全国的な運動として行われてきました。この点も、教育の自主性・自律性が、政治的な力によっておかされるおそれをはらんでおり、ゆるがせにできない問題を含んでいるといわなければなりません。とくに、「新しい歴史教科書をつくる会」ならびにその支援団体などによって、この間、採択制度の変更をせまるうごきがおこり、それをうけて採択制度を変更した都道府県・市町村も出てきています。その結果、現場教職員の意向が反映できなくなる事態もおこっています。
 このような状況のなかで、今年度の教科書採択が行われるわけですが、何よりも教科書で学ぶのはこれからの21世紀をになう子どもたちであることを考え、それにふさわしい教科書が、日本国憲法・教育基本法の理念にもとづいて、公正かつ民主的に選ばれるよう、以下の通り請願いたします。

1.「新しい歴史教科書をつくる会」による違法な宣伝活動が行われていますが、それにまどわされることなく、公正な採択を行ってください。
2.採択にあたっては、教育現場の意見がいっそう重視されるようにしてください。
 子どもの実態や学校・地域の実態にあった教科書を選ぶには、現場教職員の調査研究とその結果を反映させることは、欠かすことができません。1966年に日本も賛成して採択されたユネスコ・ILOの「教員の地位に関する勧告」61項も教員は「教科書の選択並びに教育方法の適用にあたって、不可欠の役割を与えられるものとする」としています。また、1997年3月28日の閣議決定は、将来的には学校単位の採択の実現を検討する観点から「教科書採択の調査研究により多くの教員の意向が反映されるよう」都 道府県の取り組みを促しています。こうした経過が尊重されるべきです。
3.教職員が教科書の調査研究を十分に行えるよう、時間その他の条件整備を行って下さい。
4.民主的な方法で集約された保護者・市(区・町・村)民の意見が尊重されるよう配慮してください。
5.教職員・保護者・市(区・町・村)民の教科書研究が十分に行えるよう、見本本の展示期間の延長、展示場所の増設などを実現してください。
6.採択の過程について、情報公開を行ってください。
7.公教育は、あくまでも日本国憲法・教育基本法・学校教育法にもとづいて行われるべきものです。国際的にも高く評価されている日本国憲法の理念、教育基本法第1条に示された教育の目的、学校教育法に示された教育の目標、学習指導要領の目標にうたわれている「広い視野に立って、…多面的・多角的に考察し、…国際社会に生きる民主的・平和的な国家・社会の形成者」などを総合的にふまえて、教科書の採択も行われなくてはなりません。「我が国の国土と歴史に対する理解と愛情」など学習指導要領の断片のみを基準とすることなく、日本国憲法・教育基本法の理念に合致した教科書を採択してください。
8.国際化の時代にあって、他国との対話と相互理解をすすめることは、ますます大事になっています。このようなとき、独善的な歴史観で日本の過去を美化したり、アジアにおける平和のための努力に逆行して武力をもって国際社会に対応すべきことを強調するような教科書で学ぶことは、日本を国際的な孤立にみちびくことになります。そのような教科書は、これからの日本をになう子どもたちの教科書としてふさわしくありません。あくまでも、国際理解・国際協調の見地について十分な配慮がなされている教科書を採択してください。
9.以上の観点から考えたとき、扶桑社版中学校歴史・公民分野の教科書は、中学生が学ぶ教科書としては、どうしてもふさわしいものとは思えません。すでに、歴史、教育の専門家や、著名な有識者の方々によってその問題点が指摘され、さらに複数の大新聞の社説で、これが教科書としてふさわしくないとされています。何よりも、すでに廃止・失効した大日本帝国憲法や教育勅語を礼賛し、戦争を賛美する姿勢は、今日の日本国憲法・教育基本法の理念とはあいいれません。過去の戦争についても、事実を直視せず、ひとりよがりに日本の負の部分を隠して戦争を美化するのでは、アジア諸国民との対話と相互理解、友好と信頼の道を閉ざしてしまいます。これらの点で、この扶桑社版教科書は、他の教科書と同列に論ずることのできない特異な教科書といわなければなりません。このような教科書でわが市(区・町・村)の子どもたちが学ぶことは、どうしても認めることができません。扶桑社版教科書だけは採択しないでください。
10.以上に述べた請願の内容を、教科書採択関係者の方々にきちんと伝えてください。
●日朝協会・大阪府連の第43回定期総会の決議
 4月21日に開かれた日朝協会大阪府連の第43回定期総会で以下の決議が採択され
ました。大阪府下のすべての教育委員会とマスコミなどに送付されます。

特別決議
日本とアジアがともに生きるため侵略戦争美化の教科書を持ち込ませるな

 4月3日、文部科学省は来春から小・中学校で使われる教科書の検定結果を発表した。非科学的な歴史観に基づいていると国内外で批判の高かった「新しい歴史教科書をつくる会」(西尾幹二会長、以下「つくる会」)主導で執筆、編集された中学校社会科の歴史と公民の教科書も今回合格した。「つくる会」メンバーは、これまで従軍慰安婦や日本の軍部の侵略の事実を記述した他社の教科書を「反日的・自虐的だ」とはげしく攻撃してきた人たちであり、露骨な好戦姿勢を示し、憲法改悪を主張してきた。さらに彼らの資金源は、「会」賛同者の4割を占める大手ゼネコン・大銀行、大企業などの企業役員とその企業であり、運動をバックアップしてきたのは、自民党の政治家たちである。まさに今回検定合格したこれらの教科書は、憲法・教育基本法改悪の動きを加速させた森政権のもとで、日米軍事同盟中心の国づくりを推し進める右翼的個人・団体と財界人が結合、自民党の政治力をフル動員して合格にこぎつけられた教科書である。
 これらの教科書の合格に対し、いち早く韓国政府は嫌悪感を示し、駐日大使の一時召還との事態にまで至っている。21世紀に、アジアの国との平和的で信頼と友情に結ばれた共存を実現し、日本が「名誉ある地位」を占めるには、それを担う子どもたちや青年たちが、アジアの子どもたちと戦争の歴史について知識や認識を共有することが極めて重要である。それだけに、侵略戦争を美化するこれらの教科書を学校現場に持ち込ませるわけにはいかない。
 日朝協会大阪府連は、一貫して日本とコリアの友好と交流の促進に努力し、「朝鮮を正しく教えよう」のスローガンのもと、古代から近現代にいたる日本とコリアの事実の厳密な検証に基づく科学的歴史像の構築とその教育の実現のため奮闘してきた。
 今、全国で、「子どもと教科書全国ネット21」や全教をはじめとした父母、教職員等広範な個人・団体による検定合格への怒りの運動が広がっている。わたしたちは、教科書検定制度の問題点を示しつつ、これらの教科書の非科学性と日本国憲法や教育基本法に真っ向から対立するものであることを、広く国民に明らかにする運動を展開する。また、教科書採択に向けては、教育委員会任せにせず、父母、地域住民、教職員が共同、参加し、あらゆる機会に民主的採択をめざす取り組みを強化する。みんなの力で、これらの教科書の採択を許さぬ状況をつくりあげよう。
2001年4月21日
日朝協会大阪府連合会第43回定期総会
●『講演集/映画の自由・映画の真実』発行
映画の自由と真実ネットは、2年間の講演録をまとめた「映画の自由・映画の真実〜映画の自由と真実ネット講演集〜」を、4月19日に発行します。映画表現への規制強化の動きが起こり、また日本の侵略戦争をアジア解放の戦いだったと描く『ムルデカ17805』が公開されようとしている今、この「講演集/映画の自由映画の真実」は大いなる指針となるものです。講演内容は、清水英夫さん(青山学院大学名誉教授・映倫管理委員長)の「日本国憲法と映画の自由」、辻井喬さん(作家)の「人間の自由、文化の自由」、若杉光夫さん(映画監督)と新藤兼人さん(映画監督)の「レッドパージ50年/その真実を知る」、山田和夫さん(映画評論家)の「映倫と日本国憲法の理念」「日本映画界を襲ったレッパージとは」、内海愛子さん(恵泉女学園大学教授)の「東京裁判」、藤原彰さん(歴史研究者・一橋大学名誉教授)の「日本のインドネシア占領と独立運動」などです。定価は1000円です。ぜひお読みください。(申し込みは、メールかFAXで映画の自由と真実ネットまで)
●「21世紀の国連と日本の役割」の小中学生・高校生の作文募集中
 国連広報センターでは、インターネット博覧会(インパク)に出展したホームページにおいて、「21世紀の国連と日本の役割」と題し、作文コンクールを行なっており、募っております。
●戦争責任を否認する「危険な」教科書検定承認に断固反対する
韓国の日本の歴史教科書改悪阻止運動本部は、4月3日16時30分からソウルで記者会見を行ない、声明を発表しました。
【日本の歴史教科書改悪の検定通過に反対する韓国市民団体声明書】

戦争責任を否認する「危険な」教科書検定承認に断固反対する

1.本4月3日、日本の文部科学省は、これまで問題となってきた日本の中学校歴史教科書の検定を最終承認し、4月3日17時にメディアを通じて全面公開した。しかし教科書検定の過程で最も「あぶない」教科書として知られていた「新しい歴史教科書をつくる会」が執筆した教科書が、歪曲された歴史認識という点においては全く変わるところなく、形式的な修正が加えられただけで検定を通過したことは、きわめて深刻な問題であるといわざるを得ない。

2.アジア太平洋戦争を大東亜戦争と呼び、侵略戦争ではなくアジア解放のための戦争であるという、あきれんばかりに帝国主義の論理を前面に押し出したこの教科書は、韓国併合や植民地支配に対する一抹の反省も無く、日本軍「慰安婦」の歴史的事実を無視し、南京大虐殺についても否認するなど、あやまった記述をしている。またアジア各国の歴史を根拠もなく侮蔑的に描写するなど、軍国主義中心の世界観をあらわにし、第二次世界大戦後に廃止された天皇制国家の憲法や教育勅語を礼賛するなど、戦争を美化し、国家に対する誇りや奉仕、国防の義務を強調している。

3.このような教科書の最も重要な問題は、日本が戦後にかかげてきた国際的な公約を全面的に破棄するような世界観をもっているということにある。もともと日本国憲法は、日本が再び侵略戦争をしない、という国際的な宣言に基づいたものである。
 また1982年の教科書検当時、侵略事実の隠蔽の動きに対してアジア各国が抗議した結果、教科書検定基準に「近隣のアジア諸国との間の近現代史の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮があること」という条項が、日本政府によって付け加えられた。にもかかわらず日本政府は、このような歴史的脈絡を無視し、侵略戦争を正当化し美化した「あぶない」教科書を検定通過させることにより、戦争に対する反省と責任を拒否し、平和と和解を成しとげようという世界の念願に逆行している。

4.現在、日本で進行している新ガイドライン採択や、日の丸・君が代の国旗・国歌としての法制化など、軍国主義再武装の状況を考慮すれば、「あぶない」教科書を単なる一教科書にすぎないなどと責任を回避してきた日本政府の態度は、絶対に容認することができない。結局のところ、「あぶない」教科書の検定承認および採択は、アジアの平和、ひいては世界の平和に逆行する第二の侵略行為にほかならない。アジア民衆の平和への願いを拒否する日本政府は、侵略と戦争に反対して絶えることなくひろがっているアジア各国の民衆による抵抗の精神を想起することを要求する。

5.韓国の市民・社会団体は、戦争責任を回避する反歴史的な日本の歴史教科書検定承認を決して座視することはできない。韓国の市民・社会団体は、「あぶない教科書」に対する検印証承認取消を要求する。また、日本でこのような改悪教科書が採択されないよう、全国民的な運動を日本の市民団体と連帯して展開していく。二度とこの地に反歴史的で反人権的な教科書があらわれることのないように、アジア民衆が連合して闘争していく所存である。
2001年4月3日
日本歴史教科書改悪阻止運動本部
●子どもと教科書全国ネット21
 今「毎日新聞」のホームページで、歴史教科書問題について投書の受付と掲載をしています。
 私の投書も掲載されています(練馬区35歳会社員)が、「つくる会」系の組織的と思われる投稿が量で圧倒しており、中にはネット21や俵事務局長を名指しで攻撃するものもあります。 そこで、こちらの主張について、できるだけ多くの投稿をしてくださることを呼び掛けます。
 「毎日」ホームページアドレス http://www.mainichi.co.jp/ を開いて、「毎日の視点」の「歴史教科書問題どう思う」をクリックすれば、投稿フォームが出ます。
子どもと教科書全国ネット21
●子どもと教科書全国ネット21
 韓国・ソウルでの「3・24アジア抗議デー」の集会とデモに参加し韓国の市民組織と意見交換を行なうために、24日〜27日、訪韓してきました。韓国でこれヲ主催したのは「日本の歴史教科書改悪阻止運動本部」で、韓国の市民団体、教組、労働組合など60団体が参加しています。26日夜には、その運動本部のメンバーとミーティングを行なって、これからの日韓での運動のすすめ方について、相談してきました。

 さて、検定の進行状況ですが、本日(29日)、検定審議会総会が開催され、正式に社会科教科書の合格が決まります。
 30日に文部科学省は記者レクを行ないます。報道解禁は、4月3日の17時です。
 テレビは夕方からのニュースで、新聞は4日の朝刊から 一斉に報道することになります。
 子どもと教科書全国ネット21は、他団体と共同で声明を出し、14時から記者会見を行ないます。この声明は、賛同署名欄(5名書けるようにする)をつけ、全国的に署名を開始することにしています。

子どもと教科書全国ネット21