<最近の声明>
▼ 与党・政府による教育基本法案「可決」に抗議する 06/12/23
▼ 偽りの世論を背景に作り上げた教育基本法「改正」案を、参議院で廃案にしよう 06/12/1
▼ 教育基本法「改正」案の廃案を求める歴史研究者・教育者のアピール 06/09/22
▼ 世界遺産・平城宮(京)跡と奈良の文化財を守るための要望書 06/07/29
▼ (決議)教育基本法「改正」−「政府案」「民主党案」ともに問題点を広く明らかにし、
秋の臨時国会での廃案をめざそう!
 06/07/29
▼ 教育への不当な国家介入をねらう「教育基本法改正案」の廃案を要求する 06/05/13
▼ 教育基本法改悪法案、および憲法改悪のための国民投票法案の国会上程を阻止しよう06/04/13
▼ 建国記念の日に関する声明 2006/02/25
▼ 小泉首相の靖国神社参拝強行に厳重に抗議する 2005/11/20
▼ 小泉首相は靖国神社参拝をただちに中止すべきである 2005/06/30
▼ 4月29日を「昭和の日」とすることに反対します 2005/04/21
▼ 平和と人権・民主主義の大切さを考えることができる教科書を 2005/04/21
▼ 教育基本法改悪案・憲法改悪のための国民投票法案の国会上程に反対します 2005/04/13
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与党・政府による教育基本法案「可決」に抗議する

 自民党・公明党は、12月14日に参議院特別委員会で政府の教育基本法案を強行採決し、15日の参議院本会議で可決・成立させた。慎重審議を求める国民多数の疑問にも何ら答えることもなく、会期末の強引な採決で成立させたことに強く抗議する。

 教育基本法「改正」は法案作成から、審議、採決にいたるまでまったく民主主義に反するものであった。

 まず、第1に、教育基本法「改正」案は作成段階からきわめて秘密のうちに作られ、その過程すら国民に明らかにされなかった。与党内部でのすり合わせと談合のうちに法案が作成されたことは、国民の意思をそこなう姑息な方法であったことは明らかである。

 第2に、6月の衆議院における審議では「愛国心」の評価は強制すべきではないということが明らかになった。さらに、今臨時国会の審議においては、「やらせ」のタウンミーティングによって教育基本法「改正」が、あたかも世論であるという偽装を内閣府がおこなっていたことが明らかになった。しかもその世論誘導のタウンミーティングに国民の常識を越える税金の無駄遣いをおこなっていたことが発覚した。このような経過のなかで「改正」法案を成立させるという手法は、民主主義国家として恥ずべき行為である。

 第3に、日本国憲法を逸脱した教育基本法「改正」であることの問題である。政府法案は、個人の権利としての教育から「国家のための教育」に変え、教育目標においても態度主義の教育をめざし、国や行政が教育に介入することを明確にした。これは、国民のための教育を「国家の都合のよい」教育に変質させるものである。

 このような教育基本法「改正」によって、教育は、今後、差別・選別・競争がいっそう強まることが予想される。「いじめ」をなくすどころか「いじめ」を助長する「改正」教育基本法であること、また、数値目標や学力テストによって、子どもや教師を縛り付けるものになることは明白である。国が教育を上から下へ押しつける政策はけっして子どもを幸福にするものではない。たとえ「改正」教育基本法が施行されても、この点について国や行政が自覚することを強くのぞむものである。

 私たちは、戦前の画一的で強制力のある教育によって、子どもたちを戦争へと導いた過ちを繰り返してはならないと考えている。また、子どもの科学的な歴史認識や社会認識は、「国の教育介入」によって育つものはないことを教育実践のなかで明らかにしてきた。今後とも、私たちは、日本国憲法とこれまでの教育基本法の精神や国連・子どもの権利条約をもとに、近隣諸国はもちろんのこと国際的にも理解の得られる教育実践を深め追求し、子どものための教育を守りぬく決意である。
2006年12月17日
歴史教育者協議会常任委員会

偽りの世論を背景に作り上げた教育基本法「改正」案を、参議院で廃案にしよう

 10月末から再開された衆議院教育基本法特別委員会での審議で、法案の根拠となるべき国民世論を聞き取るタウン・ミーティングで内閣府・文部科学省による「やらせ」によって賛成意見が述べられていたことが明らかになった。この問題は「改正」案の審議の土台そのものが不正につくられたものであり、国民の中に「改正」案に賛成する世論がほとんどないことをも同時に明らかにした。法案作成過程で不正がおこなわれたということは、「改正」案の法案としての正当性を失わせるに十分な出来事である。それにもかかわらず衆議院は与党単独で法案を通過させた。さらにその後、文部科学省が教育委員会をとおして県教育関係者を動員していたこと、タウンミーティングに膨大な経費をかけていたことも判明した。タウンミーティングは世論をねつ造するための道具にされていたのである。

 いじめ自殺問題で「いじめ0」と報告させていた背景には、いじめ問題に真剣に取り組む学校の協力体制をつくるのではなく、「いじめ半減」などの数値目標のみをかかげ、一人ひとりの教師や各学校の責任のみを問題として、結局は責任のがれを助長した中教審答申などによる文部科学省の指導があったことは明白である。また高校の世界史等の必修科目未履修問題では文部科学大臣は当初、各学校長や各教育委員会の責任としたが、文部科学省は少なくとも2002年当時から問題を把握していたことが明らかになり、文部科学省の責任はまぬかれないものとなった。いずれも数値目標達成だけを至上命題として、子どもの姿を見ようとしない現在の文部科学行政とそれに引きずられた教育委員会や学校が引き起こした誤りである。文部科学省の権威は失墜している。そういう状況にありながら、なお教育基本法「改正」案に固執し、法案成立を強行させようとしている政府与党・文部科学省の姿には道義のかけらもない。

 また安倍首相のとなえる学校選択制や「教育バウチャー制」の提起などによって、この教育基本法「改正」案が、全国一斉学力テストなどにより学校間の競争を激化させ、「勝ち組」の子どもの行く学校と「負け組」の子どもの行く学校とを政治的に作り出し、格差を広げ、公教育を大きくゆがめるものであることが明らかになってきた。現在さまざまな問題を抱えている学校は、教育基本法「改正」により、さらに大きな影響を受けることは明らかである。「改正」案はさまざまな教育問題を解決するどころか、国家道徳の強制、競争の激化、教育行政支配の強化により事態をさらに悪化させるものである。学校現場と教師はますます精神的苦痛を増やされ、意欲を低下させられていくだろう。日本の学校教育がさらに困難におとしいれられることが予測できる。

 安倍内閣が手本にしようとしているイギリス・アメリカでは、すでに教育「改革」が格差を広げるなどのゆがみを作り出したことが明らかになっている。それにもかかわらず安倍内閣は失敗に学ばず過ちを繰り返そうとしている。いま、多数の世論が教育基本法「改正」案に反対し、また慎重審議を求めている。それはこの間噴き出したさまざまな教育問題が、教育基本法「改正」案では解決できないことを多くの国民が理解しはじめたからである。


 参議院教育基本法特別委員会はこれらの問題を徹底審議して、教育基本法「改正」案を廃案にすべきである。教育基本法改悪に反対する国民世論をさらに大きくし、国民の声を国会に届けて、教育基本法改悪をやめさせよう。
                               2006年11月26日
                              歴史教育者協議会常任委員会

教育基本法「改正」案の廃案を求める歴史研究者・教育者のアピール

 日本国憲法と教育基本法は、戦後世界と日本の基盤となった民主主義と平和の基本理念を示すものであり、成立後60年近くを経過した現在でも、その輝きを失うどころか、むしろ世界からいっそう注目されるにいたっている。かつて「教育勅語」に基づく皇民教育によって天皇に忠誠をつくす「臣民」の育成が徹底され、侵略戦争の遂行に多くの国民がすすんで協力するにいたったことは、教育のもつ重要性と危険性を広く認識させずにはおかなかった。その反省の上に立って1947年に制定された教育基本法は、民主主義と平和を基軸とした教育の理念を語るとともに、国家による教育統制を極力排除することを主眼としている。これは教育の中身に国家が介入することが侵略戦争の道へ踏み込む結果をもたらしたという反省をふまえたものであり、今日にいたるまで、国家中心ではなく子どもの成長発達を中心にすえた戦後教育のよりどころとなってきた。
ところがこのような教育基本法の理念を根本的に改め、国家が具体的な教育内容に踏み込んで、教育全般の統制を進めようという「教育基本法改正案」が国会に提出され、秋の臨時国会での成立が企てられている。「改正案」には以下に示すように多くの問題があり、歴史の研究と教育にたずさわる者として、これをぜひとも廃案とするよう訴えるものである。
第1に、改正法案の内容以前の問題として、「改正」の必要性、必然性について明確な説明がなされていないことである。政府・文部科学省は、モラルの低下、いじめ、学級崩壊などの現象を「改正」理由としてあげていたが、結局これらが現行の教育基本法に起因するものということはできなくなり、政府は国会における答弁で「改正」理由を説明できなかったのである。民主主義と平和を基調とする戦後教育の根幹を支えてきた教育基本法を、明確な理由もなしに軽々しく「改正」することは到底許されない。
第2に、現行の教育基本法で、教育の方針として「学問の自由を尊重し、実際生活に即し、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によって、文化の創造と発展に貢献するように努めなければならない」と記した第2条をすべて削除し、「改正案」は新2条に「教育の目標」を新たに規定して、具体的な徳目を5つの項目に分けて列記している。最後の5項には「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと」という一文が配されている。これは「我が国や郷土を愛する」という人々の心の内面にふみこんで特定の「態度」表明を強制するものであり、他国を尊重するという後段があるからといって看過できるものではない。また愛国心とともに郷土愛を併置したことも重大な問題をはらむ。かつての「教育勅語」の時代においても郷土愛の涵養が叫ばれたが、これは「愛郷心は愛国心の基盤をなす」という発想によって行われたものであった。また「伝統と文化を尊重し」ともいうが、「伝統」や「文化」の内実やそれと国家との関係は複雑であり、特定の伝統観・文化観を押しつける危険性をはらんでいる。
さらに特定の「態度」の育成を教育全般の目標として法定し、それを教育関係者に義務づけることは、事実を学び、事実にもとづいて考え、真理を探究するという戦後の歴史教育の原点を根底からくつがえすことにならざるを得ない。特定の態度育成に役立つ事実だけが選びとられ、教えられ、態度育成の結果が評価されるような教育は、天皇への忠誠心を養うことを目標に組み立てられた戦前戦中の「国史」教育に通ずるものである。
このような「徳目」としての教育目標が、小中高校の教育にとどまらず、家庭教育・幼児教育・大学・私立学校・社会教育などにも共通するものとして設定され、親や教員、地域住民、警察も含むといわれるその他の教育関係者すべてがその目標達成のために努力することを義務づけられるようになることも、重大な問題をはらんでいる。教育機関のみならず社会全体に国が定めた徳目を無批判に受容する体制をつくりあげることになりかねないからである。
第3に、現行法第5条の男女共学についての規定が全面削除されることになった。法の文面上は直接には男女共学についての規定であるが、戦後教育のなかでは、その精神を生かし発展させ、男女平等の教育を推進する根拠となってきた。最近、男女平等の教育・社会をめざすうごきに対して激しい逆流現象がおこっている事実に照らせば、第5条の廃止が男女平等教育を後退させる契機となることが危惧される。
第4に、義務教育を9年とする規定が削除され、さらに「改正案」で法的根拠を与えられる政府策定の教育振興基本計画によって、昨今伝えられるような競争的な全国一斉学力テストが実施されるならば、いっそう効率的、差別的な教育が推進され、教育の平等が損なわれることも危惧される。
第5に、教育行政のありかたについても「改正案」には重大な問題が含まれている。
現行法では教員にかかわる第6条で「法律に定める学校の教員は、全体の奉仕者であって、自己の使命を自覚し、その職責の遂行に努めなければならない」とあるが、教員について定めた「改正案」第9条では、このうち「全体の奉仕者」という文言を削除した。これとあわせて現行法第10条の「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである」という条文からも「国民全体に対し直接に責任を負って」という部分が削られた。国家および地方行政による教育統制、教育内容への介入を極力排除し、教員は「全体の奉仕者」であって、教育は「国民全体に対して責任を負って」行われるべきであるとした現行法の理念は、「改正案」では全く消失し、教育は「この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきもの」とされた。いいかえれば、教育とその担当者たる教員は、子ども・保護者・地域住民に責任を負うのではなく、政府に責任を負い、法律や通達などの形で示される政府の命ずるところに従って教育を行わなければならなくなるのである。政府による教育支配を完全に合法化する「改正案」といわなければならない。「全体の奉仕者」として「国民全体に責任をもつ」かたちで事実を語り真理を探求するというごくあたりまえのことが、不可能になる。最近の異常なまでの「日の丸・君が代」強制の実態に照らせば、それを杞憂ということはできない。
教育基本法を一つの指針として、長年にわたり歴史研究と教育に携わってきたわれわれは、これまでの努力を真っ向から否定するような「教育基本法改正案」は廃案にすべきだと考える。

  2006年10月20日
呼びかけ人 荒井信一  猪飼隆明  石山久男  伊藤康子  宇佐見ミサ子
木畑洋一  木村茂光  鈴木 良  中塚 明  永原和子
西川正雄  西村汎子  浜林正夫  広川禎秀  服藤早苗
藤井讓治  峰岸純夫  宮地正人  山田邦明  米田佐代子

『教育基本法「改正」案の廃案を求める歴史研究者・教育者のアピール』への賛同のお願い
上記アピールに多くの方々の賛同をいただき、賛同者のお名前、人数を含めて公表し、関係方面に送付したいと思います。賛同いただける方は下の用紙にご記入の上、下記宛先へ郵送、FAX、電子メールのいずれかでお送りください。学会、研究会、グループなどでまとめてくださることも歓迎いたします。用紙は適宜増刷または継ぎ足してください。連名の場合は、郵送またはFAXでお願いいたします。
送り先 歴史学研究会 101-0051 東京都千代田区神田神保町2-2誠華ビル
           FAX03-3261-4993  rekiken@mbk.nifty.com
締切10月10日
『教育基本法「改正」案の廃案を求める歴史研究者・教育者のアピール』に賛同します。

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(差し支えなければご記入下さい)
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世界遺産・平城宮(京)跡と奈良の文化財を守るための要望書

 一九九八年、国指定の特別史跡である平城宮跡が、地上に建物がない埋蔵文化財包蔵地としては、世界でも初めての世界遺産として登録されました。
しかし残念なことに、建設省(当時)は一九九九年、平城宮跡域に高速道路・京奈和自動車道、大和北道路を地下トンネルで通すという案を持ち出し、そのための地下水の調査として、ボーリング調査を実施しました。世界遺産に登録された翌年から、平城宮跡は重大な危機にさらされることになりました。
その後、二〇〇三年一〇月の国土交通省大和北道路有識者委員会の提言では、同文化財検討委員会の提言を受けて、「西九条佐保線地下+高架案」の優位性が指摘され、平城宮跡直下を通過する案は否定されました。しかしながら、「西九条佐保線地下+高架案」のルートも、地下トンネルが広範囲にわたっていることやその出入口が過去に多数の木簡が出土した地域に近接していることから、地下水位の低下が予想され、木簡や地下埋蔵物は消滅の危機に瀕しているといえます。また、換(排)気塔や高架橋の遮音壁は、古都奈良の景観を大きく破壊するのはもちろん、大気汚染による地域住民への健康被害につながることも考えられます。
その後、今年の二月、近畿地区幹線道路協議会課題別会議「大和北道路に関する会議」において、複数ある推奨ルート案から「西九条佐保線地下+高架案」が選定されるに至りました。そして、四月二十八日に、奈良県は、環境影響評価検討専門部会を開き、高速道路の位置や道路の構造などを明示した「準備書(案)」を決定しました。その「概要書」によれば、「地下トンネルは世界遺産平城宮跡のバッファゾーン内に入り、トンネル出入口に換(排)気塔を設置し、北側はほぼ自衛隊の横、南側は大安寺の真西ぐらいになります。換(排)気塔の高さは北側で八メートル、南側で三十メートルです。地下トンネルの前後は高架橋となり、騒音が環境基準を超えるため遮音壁を設置します。大気汚染も基準内ギリギリです」とあり、当初の計画通りとなっています。これでは、従前の危惧が何ら解消されないままであり、とうてい見過ごすことはできません。
さらに、新たな問題として、二○一○年の「平城遷都一三○○年記念事業」が計画されています。その事業内容には、平城宮跡の中心である大極殿前にテントやパビリオンを建て、一年間にわたり平城宮跡で五○○万人を集めることが予定されています。文化財を守るべき奈良県が、特別史跡・世界遺産 平城宮跡の破壊・破損行為を伴う危険なイベントの準備を進めているといわざるをえません。
わたしたちは、こうした情勢に鑑み、平城宮・京跡と古都奈良の景観や文化財を後世に伝えていく責務があると考え、高速道路建設をストップさせるとともに、平城遷都一三○○年記念事業を特別史跡・世界遺産 平城宮跡内で開催しない何らかの措置をとることを求めます。

二〇〇六年七月二十九日
歴史教育者協議会 会員総会


(決議)教育基本法「改正」−「政府案」「民主党案」ともに問題点を広く明らかにし、秋の臨時国会での廃案をめざそう!

 6月18日に通常国会は閉会し、政府提出の教育基本法改正案と民主党提出の日本国教育基本法案は、急速に広がった教育基本法改悪反対運動の力が大きな要因となってその成立を阻止し、どちらも継続審議となった。
今回の国会審議で教育基本法改悪の危険性とその矛盾がいっそう明らかになった。
第一に教育基本法を改正する根拠が最後まで明らかにされなかったことである。小坂文科大臣は「改正案」は現行法の理念を引き継ぐと述べ、現在の様々な教育問題の原因が教育基本法によるものではないことを認めたにもかかわらず、「教育をめぐる状況の変化」「時代の要請」という抽象的な理由を改正の根拠として押し通した。しかし、これは国民の前に改正の本当の理由を明らかにできないことの表れである。
第二に、法案作成の経過も最後まで明らかにされなかった。3年間、約70回におよぶ与党協議会には文科省から職員が出席していたにもかかわらず、議員からの会議録提出の要求に対して、まったく中身のわからない概要だけを提出し、逃げ続けた。どのように法案が作成されたかは重要な問題であり、それを明らかにできないということは、法案作成の正当性を疑わせるに十分である。
第三に、本会議と特別委員会での審議が一部を除いて、きわめていいかげんといわざるをえない状態だったことである。議員の出入りは多く、審議中にも議員同士で私語をかわし、与党議員の質問は持ち時間をつぶすためとしか思えないようなものもあった。このような状態で準憲法といわれる教育基本法の「改正」がおこなわれるとしたら、国民に対してまったく不謹慎であるといわざるをえない。
第四に、自民党・民主党の一部議員から教育勅語を礼賛する発言があったことである。戦前・戦中の天皇制国家のもとでの、男尊女卑、家父長制の社会であったことを無視し、また戦後国会で失効決議が行われた教育勅語を持ち出すことは、その議員の歴史と人権についての無知と無理解をさらけだしたものである。
第五に、「愛国心」など一部の問題については時間をかけた論議がおこなわれたが、法案の各条文に沿っての議論はおこなわれなかったことである。特別委員会の理事会で自民党理事から「論点は出尽くした」という発言があったというが、たとえば「伝統と文化」や「郷土」とは何を意味しているかなどの極めて重要な点がまったく明らかにされていない。
第六に、「改正案」が法としての重大な問題をもつことが明らかになったことである。現行法制定時には、近代国家は人間の内面的な領域に関与しないという考えのもとに、教育について法が詳しく規定することをいましめ、教育の目的と方針などの基本的な理念を定めるにとどまっていた。しかし「改正案」では、教育の目標を細々と掲げて教育内容をしばり、それが義務教育だけでなくすべての教育の目標とされている。問題となった「国と郷土を愛する…態度」だけでなく、家庭教育や社会教育などあらゆる教育と国民生活が「改正案」の「目標」にしばられることになる。それは「不当な支配に服することなく、国民全体に対して直接に責任を負って」いる教育を変質させ、政治権力によって子どもを上から支配する教育にしてしまうものである。その危険性は、国会審議でもとりあげられた「愛国心」を評価する通知表に象徴的にあらわれている。
わたしたちは、この夏に「政府案」「民主党案」ともに問題点を広く明らかにする運動を広げ、政府案については臨時国会冒頭での撤回を求めるとともに、もし審議に入った場合は、法案の各条文に沿った徹底審議を通じ「政府案」「民主党案」ともに廃案にすることをめざして奮闘するものである。

2006年7月29日
歴史教育者協議会 会員総会


教育への不当な国家介入をねらう「教育基本法改正案」の廃案を要求する

  4月28日、政府は「教育基本法改正案」を閣議決定し、国会に提出した。
この法案は、まず作成過程が全くの密室での話し合いであったことに根本的な問題がある。今日の日本の教育をどのように改革していくことが、子どもたちと日本の将来のために必要なのかという議論は全くおこなわれなかった。そして、教育に関心を持つ多くの国民、教職員、保護者、子ども自身の声を聞くことはほとんどなかった。ただただ、与党の自民党、公明党の合意を作り上げることだけに時間がかけられ、党利党略のためだけに法案が作成された。安倍官房長官は「自民党結党以来の悲願」と述べたが、この言葉にこそ、子どもたちの健やかな成長とこれからの豊かな教育のあり方を考えるのではなく、党派的な願望しか頭にない政府・与党の姿勢がはっきりと表れている。
当然、法案の内容も子どもたちの健やかな成長とは全くかけはなれたものとなった。それは現行教育基本法第一条にある「真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成」という、よりよい個人を育成する方向から、国家のための人材育成という方向へと180度方向転換することをねらったものであり、そのために教育への国家の介入と支配を強めることだけを目的とした法案である。
「公共の精神を尊び」「伝統と文化を尊重し」「我が国と郷土を愛する」などの文言が入れられた代わりに、現行法にある「(日本国憲法)の理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである」を削り、教育行政に関しても「(教育は)国民全体に対し直接責任を負って行われるべきものである」「教育行政は…教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない」などの重要な文言が削除されたことに、今回の「改正案」の本質がはっきりと表れている。
特に「我が国と郷土を愛する…態度を養うこと」を教育の目標として規定したことは、憲法19条「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」に反する疑いが濃厚である。愛国心についてはさまざまな考え方があるが、その中身が国家によって決められ、子どもに態度が強制され、それが評価されることになったら、子どもたちの心の自由は奪われてしまう。当然、教える側の教師の心の自由が奪われることは明白である。現在でさえ、学習指導要領を根拠に卒業式、入学式などで「国旗・国歌」の強制が行われ、多数の教職員の処分をおこなっているのに、この「改正案」が通れば、新しい学習指導要領などによって、さらに「国家への忠誠」を求める教育がおこなわれるようになるだろう。
今回の「改正案」が日本の教育を良くするのではなく、国家の教育への介入を強め、教育現場をいっそう混乱させるだけのものであることは、以上のことから明白である。よって、「改正案」を廃案にすることを強く求めるとともに、その成立阻止のため、「改正案」に反対し、あるいは慎重審議を求める国内外の広範な人々と共同して運動を強める決意を表明する。

2006年5月11日
歴史教育者協議会常任委員会


教育基本法改悪法案、および憲法改悪のための
国民投票法案の国会上程を阻止しよう

  いま教育基本法を改定しようとする与党内部の動きが強まっています。2月1日には半年ぶりに与党教育基本法改正検討会がひらかれ、3月に入ってからは、毎週のように検討会がもたれて、今通常国会に「教育基本法改正案」を提出しようとしています。

「改正案」は、教育基本法に「愛国心」を盛り込むとともに、教育の機会均等を奪い、勝ち組、負け組の差をさらに広げ、「格差社会」を当然視するような内容に変質させようとしています。また教育行政が教育内容にまで介入し、国家による教育内容の管理統制を行おうとしています。そのことが家庭や学校で話題になり、広く国民に知らされる前に、国会内の多数議席の力で短期間に成立させることをねらっています。
政府首脳が今回のライブドア事件さえ教育基本法が原因だと発言したことに明らかなように、彼らは現在の教育をめぐるさまざまな問題の原因をすべて教育基本法に押しつけて、教育に対する国民の心配・不安が教育基本法改定で解決するかのようなうそをふりまいています。しかし、現在の教育をめぐるさまざまな問題の多くが、これまでの政府・文科省の教育基本法に反した教育行政の失敗にあることは明らかです。

私たちは教育基本法を守り、その精神を実際に生かしていくことこそ、今のさまざまな教育問題を解決する筋道だと考えます。「お国のため」の教育ではなく、個人の尊厳を守り、平和的な国家及び社会の形成者となる子どもたちを育てていくために、「教育基本法改正案」の国会上程に強く反対するものです。
「愛国心」の強制は、憲法9条を変え、国民に国防の義務を負わせることにつながり、教育の機会均等を奪うことは、基本的人権を軽視して国民の「責務」を憲法にもりこもうとしていることにつながっています。
その憲法改定のための国民投票法案もまた今通常国会に上程されようとしています。憲法改悪をねらう勢力が準備している国民投票法案は、国民の言論の自由を封殺し知る権利を奪ったうえで、少数の賛成票で強引に憲法改悪を押し通そうとするものです。国民投票法案は、単に改正手続きを定めるという次元の問題ではなく、憲法改悪を目的とし、それにむかう重大な一里塚となるものであり、どうしても国会上程に反対し成立を阻止しなければなりません。

憲法を守り育てていくことこそ、日本と世界の平和と安全を守り、国民生活を豊かで安定したものにしていくことは明らかです。今、全国に「憲法9条を守れ」の世論が広がっています。また、教育基本法改悪反対の世論も広がりつつあり、これまで3年にわたり国会上程を阻止しつづけてきました。戦争賛美の「つくる会」教科書は圧倒的な世論の力で採択をごく少数にとどめてきました。これらの国民世論の力をよりどころに、私たちは憲法・教育基本法を守る運動を広げて、教育基本法改悪法案と国民投票法案の国会上程をやめさせるために力をつくします。
2006年3月26日
歴史教育者協議会全国委員会

建国記念の日に関する声明

 日本歴史学協会は、一九五二(昭和二十七)年一月二十五日、「紀元節復活に関する意見」を採択して以来、「紀元節」を復活しようとする動きに対し、一貫して反対の意思を表明してきた。それは、私たちが超国家主義と軍国主義に反対するからであり、「紀元節」がこれらの鼓舞・浸透に多大な役割を見たした戦前・戦中の歴史的体験を風化させてはならないと信じているからである。しかるに、政府はこのような声明や申し入れにもかかわらず、一九六六(昭和四十一)年、戦前の「紀元節」と同じ二月十一日を「建国記念の日」に決定し、今日に至っている。
私たちは、政府のこのような動きが、科学的で自由な歴史研究と、それを前提とすべき歴史教育を困難にすることを憂慮し、これまで重ねて私たちの立場を表明してきた。
今日の状況を見ると、現行の中学校社会科教科書の中に、「神武東征」や「神武天皇即位」が歴史叙述の流れの中に挿入されているものがあり、行改などの力によりいくつかの自治体でも採択される状況が生まれている。また最近、各地の教育委員会が学校式典での「国旗掲揚」・「国歌斉唱」を法的拘束力をもって強制する動きが顕著となっている。それとともに、「国を愛する」ことを教育の目標に掲げ、行政による教育への介入を容認する教育基本法「改正」が目指されるなど、個人の内心の自由が脅かされ、教育が国民の国家主義的動員に利用きれる懼れが強まっている。
私たちは、歴史研究・歴史教育に従事する者として、歴史学はあくまで事実に基づいた歴史認識を深める学問であり、歴史教育もその成果を前提として行なわれるべきであり、政治や行政の介入により歪められてはならないことを、あらためて強調するものである。

二〇○六(平成十八)年一月二十二日
日本歴史学協会  会長 近藤 一成
日本歴史学協会 学問思想の自由・建国記念の日問題特別委員会
委員長 池  享


小泉首相の靖国神社参拝強行に厳重に抗議する

小泉首相は10月17日、靖国神社例大祭にあわせて靖国神社参拝を強行した。しかもこの日は、1978年ひそかにA級戦犯を合祀した日でもある。小泉首相の靖国参拝に対しては、アジア各国はもちろん、自民党の一部など保守的立場の人々も含め、国内外の各方面から批判が相次いでおり、国民世論も多数が首相の靖国参拝の中止を求めている。さらに9月30日に大阪高裁が出した小泉首相の靖国参拝を違憲とする判決が確定した。今回の靖国参拝はこれらをまったく無視し、司法の判断にすら挑戦して行なわれたものである。
靖国神社は決して戦争犠牲者のすべてを祭った神社ではなく、その設立以来、天皇に忠義をつくし戦死した将兵のみを神として祭る神社として、日本国民を戦争に動員するうえで大きな役割をはたしつづけたし、今後もし日本が本格的な戦争に参加することになれば、同じ役割をはたしつづけるであろう。また靖国神社は、遊就館展示や各種出版物を通して、近代日本の行った侵略戦争を徹底的に正当化・美化しており、それが、今日の「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書をはじめとするさまざまな戦争美化論の震源地となっている。しかもA級戦犯として処罰された者を合祀し、アジア侵略戦争の責任者に対して崇敬の念を表す場となっている。
このような性格をもつ靖国神社に首相が参拝することは、戦後世界の根本理念であると同時に日本国憲法の根本理念でもある侵略戦争への反省を根底から否定し、日本国憲法そのものを公然と否定することにほかならず、平和を願う日本国民にとって許すことができない行為である。またそれは、アジア諸国のみならず全世界の諸国民に公然と敵対する行為であり、日本を国際的孤立に導く重大な結果をもたらすであろう。
また首相の靖国神社参拝は、大阪高裁の判決も示している通り、特定の宗教施設を国が支援することであり、憲法第20条が定める政教分離の原則に違反するものである。さらに合祀者遺族からの合祀取り下げ要求にも一切応じない靖国神社の態度は、憲法20条が保障する信教の自由を侵すものであり、首相の靖国神社参拝はこのような違憲行為をも支援するものであって、いずれも憲法の原則に照らして許されないものである。
以上の理由により、日本国憲法と教育基本法の理念にもとづき平和と民主主義の日本と世界をきずく主権者育成を追求してきた私たちは、小泉首相の靖国神社参拝に厳重に抗議するものである。
2005年10月23日
歴史教育者協議会常任委員会   
東京都豊島区南大塚2-13-8千成ビル
電話03-3947-5701       
委員長 石山 久男        

声明 小泉首相は靖国神社参拝をただちに中止すべきである

小泉首相の靖国神社参拝問題が、近隣アジア諸国との間に深刻な摩擦をひきおこしている。この問題は、単にアジア諸国との間の問題にとどまらず、日本国民にとっても重大な問題をはらんでいる。
第1に、靖国神社はその設立以来、天皇に忠義をつくし戦死した将兵のみを神として崇め祭る神社として、日本国民を戦争に動員するうえで大きな役割をはたしつづけたし、今後もし日本が本格的な戦争に参加することになれば、同じ役割をはたしつづけるであろう。したがって、小泉首相がいう、戦争を繰り返さないために参拝するという言い訳は成り立たない。
第2に、靖国神社は遊就館展示や各種出版物を通して、近代日本の行った侵略戦争を徹底的に正当化・美化しており、それが、今日の「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書をはじめとするさまざまな戦争美化論の重要な震源地の一つとなっている。それは、戦争への反省に立脚した日本国憲法の理念をふみにじり、日本政府が公式に表明している侵略戦争と植民地支配に対する反省をも否定するものであり、戦後日本の国際公約を破り日本の国際的信頼を失わせる元凶となっている。このような侵略戦争美化論がアジア諸国民から痛烈な批判をあびるのは、歴史的事実に照らしても当然であるばかりでなく、日本国民にとっても許しがたいものである。
第3に、とりわけA級戦犯の合祀は、靖国神社がもつ侵略戦争の正当化・美化という基本理念をいっそう明確に示すことになった。
最近の世論調査によれば、国民の多数が首相の靖国神社参拝の中止を求めている。こうしたなかで、小泉首相がなお靖国神社参拝に固執しつづけるならば、日本の進路を誤らせる点での重大な責任を問われることになるであろう。よって私たちは、小泉首相の靖国神社参拝をただちに中止すべきであると考える。
そのうえで、日本とアジア諸国との未来の平和・友好・信頼の関係をつくりあげるために、歴史の事実を直視した共通の歴史認識を形成する努力をさまざまなチャンネルを通じて積み重ねることが、いま緊急に求められていることを訴えるものである。
2005年6月26日
歴史教育者協議会常任委員会


4月29日を「昭和の日」とすることに反対します

 自民・公明両党は、民主党の賛成を見込んで、4月29日の「みどりの日」を「昭和の日」とする祝日法の改正案を今国会に提案しています。そしてその提案の趣旨を「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」としています。これは「昭和天皇の時代」に国内外で犯した誤りの反省を抜きに昭和天皇とその時代の歴史を一方的に「美化」するものであり、絶対に認めることのできません。
そもそも戦前、4月29日は「天長節」といわれた昭和天皇の誕生日でした。この日は、現人神たる天皇の生まれた日として学校では特別な儀式が行われ、子どもたちは「天皇の赤子」としての自覚を教え込まれました。戦後は日本国憲法のもとで、そうした天皇制イデオロギーを注入する祝祭日の規定は廃止され、新たに祝日法となりました。同法は祝日を「新憲法の趣旨に副うべきこと」とし「国民こぞって祝い、感謝し、又は記念する日」と定めているのです。
したがって、4月29日を「昭和の日」とすることで天皇と結びついた特別の日とすることは、日本国憲法や祝日法の原則に反するものです。
また、昭和天皇は1931(昭和6)年以降の中国への侵略戦争を引き起こし、1941(昭和16)年にはアジア太平洋戦争の宣戦布告をした時代の主権者でした。その侵略戦争はアジアの人々に多大な加害を加えたものでした。戦後60年という年に戦争の反省を抜きに一面的に「昭和の日」として戦争の時代も含めて「美化」することは、アジアの人々と一緒に平和な社会を形成する上でも大きな障害をつくることになります。
さらに国内的に見ても戦前と戦後を「昭和」という時代としてひとくくりにすることは大きな問題があります。天皇主権のもとで人権も制限されていた戦前と日本国憲法のもとで基本的人権の保障・国民主権・平和主義の立場をとってきた戦後とは明確に異なるものです。
国民の祝日は日本国憲法の精神に則り、国民の生活や国民感情を重視し、平和的な世界を形成する立場から慎重に決めるべきものです。私たちは主権をもつ国民として日本国憲法の精神に反する4月29日を「昭和の日」を祝日とすることに反対するとともに廃案にすることをを強く求めるものです。
2005年4月14日

歴史教育者協議会常任委員会

平和と人権・民主主義の大切さを考えることができる教科書を

 2005年は日韓友情の年である。両国の国民は、相互間の協力が増進し、ひいては東アジアに和解と協力の雰囲気が高まることを心から願ってきた。しかし、4月5日に発表された日本の歴史教科書の検定結果は、両国民の間の葛藤をあらたに拡大させている。

教育は平和を増進することに寄与しなければならない。日本の文部科学省最終検定を通過した歴史教科書の一部はそうなっていない。特に「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書では、「韓国併合」を正当化したり、植民地統治と戦争遂行過程で発生した人権蹂躙については努めて目を閉ざしている。近隣諸国家を大切なパートナーと考えていない教科書、「国益」を前面に出して侵略戦争を肯定するような教科書が検定を通過したのである。
これは日本の統治で大変な苦痛をなめた韓国人にとっては絶対に認めることのできないことである。同時に日本人としてもその事実を重く受けとめたい。隣国善隣友好に背き、平和と人権という普遍的な価値を軽視し、戦争を正当化する教科書は、多くの日本人からの批判に直面している。

平和と人権、民主主義の大切さを教えようと努力してきた日本と韓国の歴史教師たちは、誤った教科書が検定を通過し、戦争を煽る歴史認識を日本の青少年に教えられるような状況を座視することはできない。われわれは正しい歴史認識を通してこそ平和と繁栄の未来を創ることができる。われわれはそうした立場から歪曲された歴史教科書についての日本政府の責任を厳しく問うものである。そして、歪曲された教科書が生徒たちの手に決して渡ることのないように以下のような努力を注ぐものである。
< 記 >
一 日本と韓国の歴史教師たちは、侵略と戦争を正当化する教科書が採択されないよう最大の努力を傾けます。
一 日本と韓国の歴史教師たちは、平和と人権を増進させる教育の先頭にたちます。
2005年4月18日

日本 歴史教育者協議会/韓国 全国歴史教師の会

教育基本法改悪案・憲法改悪のための国民投票法案の
国会上程に反対します

  政府・与党は今開かれている通常国会に教育基本法「改正」案の上程の動きを強めています。そしてその内容は先に発表した与党の中間報告に沿ったものであると伝えられています。しかし、その動機と内容には重大な問題があります。
第一は、教育基本法を変える背景として、現実に生じている子どもをめぐる事件などが教育基本法に関係があるとしている点です。実際は、教育基本法が活かされていない中で生じているものです。
第二に、「平和的な国家及び社会の形成者」や「個人の価値を尊び」や「自主的精神に充ちた」という箇所を削除し、かわりに「愛国心」などの徳目を掲げ、「公共の精神を重視し、主体的に社会の形成に参画する態度の涵養」を盛り込もうとしています。これは日本国憲法の改悪に先立って「戦争できる国」の「国民」を育成する教育に転換させるものであり絶対に認められません。
第三は、教育行政のあり方についてです。教育基本法第10条は「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し、直接に責任を負って行われるべきである」と述べています。ところが中間報告では「教育行政は不当な支配に服することなく」と変えようとしているのです。戦前の教育の反省から「政治が介入しないで一人ひとりの子どもを大切にする教育」へ転換した結果を戦前のような「国家のための教育」に戻そうとするものにほかなりません。
そもそも教育基本法は前文で触れているように日本国憲法の実現をめざす国民の形成をめざしているものです。したがってその改悪は必然的に日本国憲法の改悪の動きに連動しているものです。
通常国会には日本国憲法「改正」のための国民投票法案も上程されようとしています。まだ、その法案の全体像は示されていませんが、国民投票にあたって「公務員・教員(私学も含む)の運動を禁止」したり、マスコミの報道や団体の出す機関誌などに制限を加える動きが伝えられるなど大きな問題があげられています。また、「環境権」や「知る権利」が「九条改正」とともに「憲法改正案」として一括投票を企てるなど「改正」を前提とした法案が検討されているといいます。
今、全国的に教育基本法改悪反対、日本国憲法改悪反対の国民的な運動が急速に高揚してきています。私たちはそうした運動と連帯し、教育基本法改悪法案ならびに国民投票法案の国会への上程に反対し、教育基本法並びに日本国憲法を活かすことを強く求めるものです。
2005年3月27日
歴史教育者協議会全国委員会
<過去の声明>

過去声明  2003〜2004 2001〜2002 1998〜2000