河村たかし名古屋市長の南京事件否定発言に抗議し撤回を求める
―あわせて、南京事件の事実を知る学習を広く呼びかける―
2012年2月20日、河村たかし名古屋市長は、姉妹友好都市である南京市の共産党市委員会訪日代表団との懇談の場で、南京事件について「通常の戦闘行為はあったが、虐殺といわれるような南京事件というものはなかったのではないか」と述べました。この河村市長の発言に対し、国内外から批判の声が上がり、南京市は、河村市長が南京大虐殺の史実を否定し南京市民の感情を傷つけたとして、名古屋市との交流の停止を表明しました。河村市長はその後も、市議会や記者会見で、「30万人もの非武装の市民に、旧日本軍が大虐殺をしたとは思っていない」と、南京事件否定発言を繰り返しています。
南京事件(南京大虐殺)は、1937年12月に日本軍が当時の中国の首都南京を占領する前後に、中国人の捕虜、一般市民などを大量に虐殺した事件です。殺害、放火、強姦、略奪などの残虐行為は、南京占領前後3か月以上にわたり続きました。その事実は、南京市内外に住む多くの目撃者や生存者によって、語り継がれ、南京市民に記憶されています。また、陣中日誌や個人の日記・手紙など日本軍兵士によって残された証言や書かれた記録、南京国際安全区にいたドイツ人ジョン・ラーベやアメリカ人宣教師マギー牧師の証言やフィルム映像など、多くの歴史資料によって明らかになっています。
殺害された正確な人数を確定することは、たいへん困難です。しかし、今まで調査・研究を積み重ねてきた研究者は、陣中日誌などに記された捕虜などを殺戮・処刑した人数累計や、中国側の資料による南京の兵員数の研究、犠牲者の埋葬記録の再調査などから、8万人以上の捕虜が虐殺され、民間人の殺害とあわせて10数万人以上が犠牲になったと推定しています。
南京事件は、日本政府も公式見解で事実を認めています。日本政府が提案して2006年(安倍内閣当時)から始まった日中歴史共同研究の報告書には、日中戦争が日本の侵略戦争だったという基本的な認識の上にたち、日本側も南京虐殺を歴史的事実として叙述し、中国側は虐殺行為の内容について、日本側は原因を中心とした分析を報告しています。
また、1999年に東京地方裁判所で出された「731・南京大虐殺・無差別爆撃事件訴訟」(伊藤剛裁判長)の判決では、南京事件について「11月末から事実上開始された進軍から南京陥落後約6週間までの間に、数万人ないしは30万人の中国国民が殺害された。いわゆる『南京虐殺』の内容等につき、厳密に確定することは出来ないが…『南京虐殺』というべき行為があったことはほぼ間違いないところというべきであり」と事実認定が示されています。歴史の事実は政府の公式見解や裁判所の判決で決まることではありませんが、南京事件が、政府や裁判所も否定できない事実であることは明らかです。
河村市長の「虐殺はなかった」との発言は、敗残兵でも投降者でも中国兵であり「通常の戦闘行為」にちがいないという一部の論調と軌を一にするものです。しかし、戦意を失って捕虜となった人々を殺害した具体的な内容は、戦闘行為とはほど遠い文字通りの虐殺にほかならないものです。
私たちは河村市長に対し強く抗議し、直ちに発言を撤回し、中国国民および日本国民に対して、正式な謝罪を行うことを求めます。
現在、見逃せない重大なことは、自治体の長や政治家が、河村発言を支持する姿勢を示していることです。大都市や国の政治家の発言の影響力は大きく、アジアの人々の大きな不安や批判を招いています。「新しい歴史教科書をつくる会」も、政治家や有識者を集め、河村発言を支持し、南京事件はなかったとする国民運動を広げることを表明しています。2011年教科書採択では「つくる会」系の中学校歴史教科書が採択率を上げましたが、河村発言に力を借りて、戦争賛美、アジアの国々蔑視の歴史教育を広げようとする、こうした動きを止めなくてはなりません。
私たちは、南京事件の事実をしっかりと学び、このような発言、動きを許さない世論を形成していくことを広く呼びかけます。新聞をはじめとするマスコミが、南京事件の研究をきちんと取材して報道し、国民が事実を学ぶために、積極的な役割を果たしていくことを強く求めます。
私たち歴史教育協議会では、今日まで、南京事件の研究から多くを学び、歴史教育の実践を行ってきました。子どもたちが歴史の事実を学び、東アジアの平和な未来について考えていくことができるように、さらなる研究と実践交流を、広く進めていきましょう。
2012年3月25日
一般社団法人歴史教育者協議会社員総会(代表理事山田朗)PDFファイル |